他者の評価を気にしすぎてはいないか?

我々は、他者からの評価に一喜一憂している。
それは何も間違ったことではない。むしろ普通のことであり、必要なことである。
しかし、昨今の人々は他者評価を過剰に意識しすぎているのではないだろうか。
能力や見た目。比較することは決して悪いことではないのだが、他人との差(もちろん優劣や上下といった意味ではない)にあまりにも落ち込みすぎているように感じる。

ではなぜこういったことが起こっているのか。

私はSNSの影響が少なからずあると感じている。

他人(生きていくうえで一切関わりを持つことがないだろう本当の意味での赤の他人である)が他人へ攻撃している様子や、他人が他人への文句を裏で言っている様子、つまり陰口がSNS上では現実世界に比較してかなり目につきやすい。

他にも、SNS内では世間的には少数派である人間がさも多数派であるかの様に声を大にして発言する。一般論とされている多数派の意見とは大きく離れたその文章は目につきやすく人々の印象に残りやすいのだろう(根拠はないが…)よく見かけることが多いのではないだろうか。
それだけならまだマシだ。その少数派の意見に対し、また別の少数派が声を大にしてつっかかるのである。さらに、それを側から見ている人間もそれが一般論だと受け取ってしまっていることすらあるのだ。

なにも世間と異なった意見を持つなと言っているわけではない。
例えばの話になるが、駅前で街頭演説をしているのを見かけたとしよう。内容はなんだっていいが自分の考えとは異なった意見を大々的に発しているものだとする。
そういった人々をあなたが見かけた時、演説と同じ声量で異論を唱えるだろうか?
中には私は唱えると言う人もいるだろうが、多くはそうではないはずだ。
また、仮にあなた以外の人間が街頭演説に対し大きな声で抗議していたとする。それを見たあなたはその行われている演説及び抗議に対し一般的なものだと感じるだろうか?
大抵は見て見ぬふりをするのではないか?

SNSもこういったことと同じなのである。どこかの知らない誰かが自分の意見を世界に発信していて、別の誰かが噛みついている。

こういった行為をスルーできる能力が今の我々に必要なことではないだろうか。


結論、私が言いたい事というのはスルースキルを鍛えろということである。少数派であろうと多数派であろうと意見を持つこと、それは悪いことではない。また他人と比較することも悪いことではない。
それを受け止めたうえでスルーするということが大切なのである。

自分の価値など自分で評価すればいいのである。他者の評価など所詮評価者を中心とした少数派意見なのだから。

SNSをやったっていい。自分の意見を持ったっていい。
ただ、少数派で声が小さいはずである人が集まることで、攻撃力はその人数分だけ上がり知能が下がってしまう「群れ」と言う生き物になるなということである。

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