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お砂糖とスパイスと爆発的な何か 北村紗衣

 僕はいつも映画を観た後、感想を書いている。そのとき、気をつけていることが1つ。それは、他の人の感想を目にしないということ。
 ついつい気になって検索したい気持ちを抑えて、まず自分の言葉で映画の感想を残す。それからネットで調べて、面白い考察を探す旅に出る。全然気づかなかった伏線や新しい解釈に、偶然出会えるかもしれないから。

 映画や小説をもっと楽しむ方法、それが批評だ。別に専門用語を使わなくても、丁寧に作品を読み込み、隠された視点や解釈を見つけ出すことが批評家の仕事で、「お砂糖とスパイスと爆発的な何か」ではフェミニズムの視点から作品を見る「フェミニスト批評」が行われている。

 たくさんの映画や小説、演劇が紹介されていたけど、見た・読んだ作品はあんまりなかった。それもあってか、批評としてあまりしっくりこない部分もあった。見た映画の考察記事を読むのは面白いけど、全く知らない映画の考察を読んでも、そこまで「なるほどー!」とはならないのときっと同じ。作品を見てからもう一度本書を読んだら、捉え方も変わるかもしれない。

 著者の北村紗衣氏が、楽しんで作品をフェミニスト的視点から捉え直していることはよく伝わってきた。ただどうしても、僕が男性というのもあるかもしれないけど、何となく居心地の悪さを感じる文章だった。多くの作品で(無意識的に)女性をステレオタイプ的に見たり、男尊女卑、同性愛忌避の思想が隠れていたりする、ということは分かる。
 それを暴き出すことは、文学批評だけでなく、社会制度や文化風習のレベルでフェミニズムが行ってきたことだ。社会のルールに対して、フェミニズム的に批判・運動していくことは大切だし、僕も面白いと思う。でも、それでも、何となく全体的に本書の批評に違和感というか、読み進めるのにエネルギーを奪われるというか、そんな感覚があった。

 僕は楽しめなかったからと言って、その批評を否定するつもりはないし、そんな権利もない。正しくテキストを読み込んで、新しい視点を入れ込んだ批評には価値がある。その上で、個人的に楽しめる・楽しめないの次元はあると思う。

 この本を読んで、一番残ったのはこの違和感だった。なんとなくフェミニスト批評に乗れない自分がいる。でも、これまでのフェミニズムの歴史や活動に少し触れている身として、「楽しめなかった」と簡単に言えない気持ちもある。

 簡単に本書の批評を紹介しながら、違和感について考えていこう。「二十日鼠と人間」「ワーニャ伯父さん」の2作品を紹介している、「キモくて金のないおっさんの文学論」(p.60〜)の話を。キモくて金のないおっさんとは、社会的弱者だけれど権利運動などの救済対象として想定されていない男性を指すネットスラングで、女性や障害者、性的マイノリティなどに比べて、(同じく苦しい立場にあるのに)あまり存在が認識されていないこと(不可視化)が問題だと言われているらしい。
 本書では「キモくて金のないおっさん」が近現代文学においては、多くの関心を集めていることを指摘し、上記の2作品を紹介している。「おっさん」たちは無視されるどころか、主役だと言う。作品内容とその批評については、ぜひ本を読んでもらえたらと思う。

 僕の引っ掛かりは「キモくて金のないおっさん」という表現自体と、彼らを扱った文学紹介と不可視化問題の繋がりの弱さだ。
 はじめに「キモくて金のないおっさん」のネット上の扱いや言葉の意味を紹介しているのだけれど、他の章で出てくる「腐女子」や「ブス」と違って、その言葉に当てはまる人たちに対して冷たいように感じた。「腐女子」や「ブス」の表現を扱うときには、著者自身の周囲にいるリアルな人間を読者として想定して書かれているように感じるのに、どうも「おっさん」を語るときには、一歩引いて他人事のように(著者が女性だからというのもあるけど)書かれている。多くの文章は「男性」を想定して書かれていて、だからこそ「女性」を想定した文章があるのも当たり前だというのも分かる。

 それでも2つ目の違和感、彼らの文学紹介によって「キモくて金のないおっさん」に声を与えることになるのかには疑問がある。ネット上の「キモくて金のないおっさんは無視されている」という主張に、直接文学批評によって答えるのは無理があるだろう。他の社会的弱者と比較して、軽んじられていると感じている「おっさん」は、過去の文学作品を読んで救済を得られるのだろうか。その救済可能性の提案は、本当に「おっさん」たちに向けられているのだろうか。
 「腐女子」や「ブス」より、「おっさん」に近い立場から読んだ身として、何だか蚊帳の外に追いやられている感じがした。そう、この本を読んでいて僕は、蚊帳の外にいる気分になった。


 小説や映画の批評を読んで、その作品をもっと深く知り、新しい楽しみ方を知る。そこから、社会の問題につなげていく試みは、かっこいいし、上手くできればとても鮮やかだ。本書は、フェミニズムが積み上げてきた視点を使って作品を批評し、時に女性の問題にも切り込んでいる。文学に親しみ、フェミニズムの問題意識を共有している人にとっては、爽快な切れ味が楽しめると思う。僕は、文学にもフェミニズムにもそこまで深く入り込んでいないから、隣国の文化に馴染めない旅行者だった。

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