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まずはザックリ、わたしについて。

こんにちは、にしもとです。

私の昔の話は暗い話や曖昧な話も多くなるので、ニガテな方はすぐに読むのを止めてくださいね!

私の不登校履歴


私、にしもとは小6の秋から中学校3年間の間、いわゆる「不登校」というものでした。

中学1年の時は登校日数は10日程度。当時の記憶なんてベットで寝てる映像しかありません。

親には「死んだ魚の目をしてる」と言われ、仕事中の親からの連絡が数時間取れないと「自殺してるかもしれない」と警察を呼ばれたこともあります。

死のうとした事も、精神科に連れていかれた事も、カウンセリングを受けていた事も、診断がついて薬を飲んでいたことももちろんあります。

引きこもりを3年強した後は、全日制の高校に進学。環境に恵まれたこともあって何とか卒業。

大学は当然一般受験。滑り止めに引っかかり地元の私立に進学。

大学では一コマで休める回数を確認して最大回数休んでました。まだ引きこもりが時折顔を見せる、そんな学生時代でした。

当時の家族構成


当時は母子家庭で、母姉私の3人暮らし。

親は私が2歳の時に自営していた会社の倒産と同時に離婚。
倒産前に父親が母の名前で借金をしていたこともありこわいお兄さんが訪ねてくる様な環境でした。

ただ、幸か不幸か小学校の学区がとても評判の悪い荒れた学校だったので、それを理由に卑屈になる事はありませんでした。むしろマシだと思ってました笑

母は過干渉で子どもに依存する人でした。
でもフルタイムで朝から夜まで働いていて、かつ片道1時間30分ほどの職場だったので、それが逆に良かったなと思います。忙しくて子どもに構う時間が限られていた

4年生の頃に学童を卒業してからはGPS携帯で行動を報告していました。

逆に姉は自由人。
学校がそんなんだったのできれいにグレた正直者です。母の過干渉もうっとうしがって中学生の頃から帰ってこない日もありました。高校ではそのままヤンキーになり18で家を出て、帰省はありますが出戻ったことは1度もありません。

下手にかわいかったので変な男が寄ってきやすく、男を見る目もなかったので姉の元カレ履歴は変なのばっかりです。笑

父はほぼ出てきません。全く存在感のない人です。
数年前に心筋梗塞で亡くなりました。相変わらずいっぱい借金してたみたいでした。

どんな子どもだった?


たぶんいわゆる、優等生でした。
学級委員も副会長もやりました。

昔から自己分析や心理学・哲学が好きな子どもで「なんのために地球がある?」「地球がなかったら何がある?」なんて事をぼーっと考えている子どもでもありました。

妄想癖がありました。役割が好きでした。見栄を張るタイプでした。気が強い方でした。運動が嫌いでした。矢面に立つ方でした。変に達観していました。教室を見回して人を観察するのが好きでした。「よく気がつく子」「ちっちゃいまま」なんて呼ばれてました。愛想笑いが常でした。姉にコンプレックスがありました。周りを気にして役割に徹しすぎることがありました。

なんとなく、想像つきますか?


今のにしもとは?


今は子どもを産んで育休中です。2才、0才の母をしています。(2024.11現在)

2025年4月に仕事に復帰予定で、認定幼稚園の申込を済ませ結果待ち。

大学時代にpswという国家資格を取ったので、仕事はそれを活かして引きこもりや不登校、家庭環境に課題がある子どもたちの支援をしています。

今の私は、"自信のない楽天家"です。少し卑屈です。本当はなインドアです。頭が暇になるとその日の反省会が始まります。

猫が好きです。マンガが好きです。辛いものが好きです。運転が好きです。夜が好きです。サプライズが苦手です。納豆が嫌いです。面倒くさいことは嫌がります。

その場に合わせてキャラ設定を変えるタイプで、ストレス原因からはさっさと距離をとるタイプです。

いっぱい悩みはありますが、今はしあわせです。

昔のことはほとんど乗り越えていて(そのきっかけもそのうち書きますね)、思い出すことはほぼありません。

昔は色々あったけど、私自身いまの私がわりと好きです。あの苦労は無駄じゃなかったと、心から思えます。

ここに至るまでの紆余曲折、まずは不登校になったきっかけを次回書いていきますね

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