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コムスン伝説8 バイトで戻ったコムスン

私が一度PSWをお休みして大学院に入学した。最初は貯金で生きてたが、だんだんと苦しくなった。そこで比較的自由な時間でバイトを探していた。ネットを探していると「ハローコムスン」をみつけた。「ハローコムスン」は”860-5630”の番号でコムスンへの求職、センターへの連絡、苦情、介護相談などを受ける。お年寄りが混乱しないように「番号を要件別でプッシュする」ものではなかった。

すでに「社会福祉士」「精神保健福祉士」を取得してケアマネージャーの受験準備をしていた。もう資格で苦しむことはなかった。

私はコールセンターとしては薄給ではあるが、専門性生かせるのでコムスンを選んだ。他社のコールセンターの時給は1500円以上だったがコムスンは950円だった。センター内への持ち込み規制はなく、仕事中にネットをみたり、ナンバーズの予想をしていたり、寝ていたりしている人がいた。私はケアマネの勉強をしていた。オペレータにも格があって、センターの連絡だけ→採用→介護相談という感じでランクアップしていく。入職2週間で私は介護相談を受けていた、それを見た若いぺレーターが社員に「何で私よりも新しいあの人が介護相談を受けているんですか!」と大声で怒鳴った。社員は「だって社会福祉士なんだもん。」と一撃した。この人は体裁が悪かったのか逃げだしてしまった。そして、二度と出社しなかった。

朝から勤務や夕方から勤務、夜勤などいろいろな体制で24時間365日で電話が来る。私は中途半端に退職をしたコムスンに対してやり残した感があったので充実していた。社員さんが気を遣ってくれて昔の社員IDを復活させてくれた。コースセンターの正社員よりも私のIDの方が古いので新卒の社員などはびっくりしていた。昔からの社員と立ち上げ期を懐かしんだこともあった。

時々、昔の上司が会いに来てくれたりした。本当にいい会社だと思った。

が、派遣で来ている事務員が横柄でオペレーターが嫌っていた。この派遣がそのあとで正社員に登用された。しかし、コムスンショックで解散に追い込まれたときにさっさといなくなったそうだ。前の拠点せいろを彷彿させることになった。

オペレーターはいろいろだった。元大手のディーラー、メンタルが病んでリハビリで働いている人、自称セレブではあるが使っているコーヒーカップが茶渋だらけで汚い人、やたら攻撃的は話し方をして顰蹙をかう主婦、売れない劇団員など多彩だった。中にはいびきをかいて寝るようなオペレーターがいて自称セレブさんに怒鳴られていた。

一応はヒルズに本社があるので「ヒルズ族」なので変なプライドがあった。

昼もみんなバラバラなので「一緒にみんなでランチ」とか面倒なこともなかった。

12月にケアマネ視点があって自己採点で97%にいっていたことと大学院の修了が決まったので、私は新たなステップを踏んだ。いや、病院のPSWに戻ったのだ。

病院のPSWに戻ってからは既述の通りコムスンとの新たな関係で連携を深めた。

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