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SNSの「おすすめ」?にこんな写真が出てきた。
写真にこんなコメントがあった。
誰かの行政上の区分なんてどーでも良くて、こういう行動を取ってる人は皆んなステキです。毎日ステキです。話しかけたくなります。
レスの反応が凄まじかった。
=こんなレス=
コレ良いこと言うてるつもりなんだろうが、めっちゃ障害者を差別してるぜ?気づけよアホ!!心まで障害者になるな!と言う言い回しに違和感持つ人!良いねして。
熱い心を表現したいんだろうが、言葉選びが下手。なんとも昭和的な表現。
以前に駅員に無理なクレームをつけて話題になった車椅子の方がいたが、そんな事を言いたかったのではないかと思う。しかし、ナイーブな話なだけに慎重にメッセージを出すべきだと思う。
"心まで障害者"ってどういう事を指してるのかな?
心の障害者を体に置き換えると体の障害者ってどんな状態をさすのかな?
かなり上から目線の人の思いつきのように思います。
今の時代この掲示はダメな気がする。
「心まで障害者になるな」って、存在する障害者の約半数は精神障害者なんですが。こんな差別的投稿(画像、文言)を拡散してなにがおもしろいのでしょうか。
などなど。
はじめにみたときにゴクウとドラえもんは許可を取っているのだろうかと思った。
「心まで」という表現はそれほど考えていないと思うが、心に障がいを持つ人にとっては刺さることばかもしれない。実際に批判的なコメントがある。
また、他人を助けたくても助けることができないくらいの重い「障がい」がある方もいる。
こんなことを思い出した。
「障がいは個性だ」
これは乙武洋匡氏の『五体不満足』が出てきたころに出てきた言葉だ。
確かに乙武氏のようにいろいろなことに挑戦できて、成功を遂げてきた「スーパー障がい者」であれば「個性」で済む。
私は「個性」とは「特技」(いいことも悪いことも)で何かを発揮できること、「生きづらさ」を感じない程度のものだと思う。
私が大学時代に知的障がい施設で実習担当をした指導員さんは、
「障がいは個性?バカ言っちゃいけない。私は自閉症の家庭と関わったことがある。とにかく暴れる子を相手にする親を見て『個性』で片づけられないだろう。」
と怒っていた。
私もその後で同じような方と関わったことがあったのでよくわかる。
つまり、何でも「個性」で片づけるわけにはいかないということである。
私が関わった精神障がいに関しても「うつ」が「こころの風邪」とかいう方がいる。しかし、重うつや躁転したときの自死の危険などを考えたら「風邪」なんていっていられない。
統合失調症も同じく。生きづらさを抱えている人に「それはあなたの個性だから」といっても感動する余裕なんかないだろう。
精神障がいに関してもう一歩踏み込めば「精神障がい」が全員が中途障がいで「いい時代」は少しはあった方である。デイケアで学歴や仕事など「自分の過去」を自慢する患者様が多いのもそうだ。「自分は昔はできていた。けど、こんな病気になってしまったのでできなくなった。」という思いを吐露する方も少なくはない。
そういった中で精神科医療は患者様の「尊厳」を重視すべきである。昔のことを大事にして、今、何ができるか?どうしたらいいか?を常に一緒に考えて、患者様にとぼとぼとついて行くのだ。そして、患者様が焦り過ぎたら「ぼちぼちいこうや!」と優しく声をかける。そして寄り添うのだ。
教科書的かもしれないがこれは基本中の基本である。