コムスン伝説7 ダメだったか!
いろいろなセンターを回っていた私はブロック付けになった。ブロックは事業部の下部組織である。だが、センター長なので会議には参加をしていた。
あるときにブロックの事務所の女子職員が言った。
「何かこの会社って私が前にいたつぶれた会社と同じ感じなんです。経費に甘いし、管理がなっていないんですよね。」
この話の数日後、コムスンは拠点整理になった。最初は本社への異動を募っていたが、いきなり「2000年6月30日付けで全員退職。退職時には3か月分の給与を支給する」となった。
おおよそ予測はついた。
この少し前に、私は近隣の社会福祉法人からコムスンの給料以上でのオファーが来ていたので安心してやめることができた。
全てを捨ててセンター長になった人たちは泣いている人もいた。
会社の状況が悪いことは承知だった。
私も含めて数名のセンター長が会社のために退職日をずらして3か月分の支給を避けることを言い出した。この会社がつぶれたら全国の利用者が路頭に迷う。さらに残されたスタッフもだという意識だった。私たちはそれを実行した。
そんな中であのケアマネHが周りをオルグした。退職金を申請して有給消化ということで仕事を投げ出した。が、金だけはもらっていた。当たり前といえば当たり前ではあるがあまりにもえげつなかった。
ここでコムスンは拠点を減らして多くの人が整理された。
自分で介護会社を立ち上げた人、実家に帰った人、失業をして離婚に追い込まれた人、メンタルが病んで精神科に入院した人など様々な人生となった。
急な拡大で被った被害はあまりにも多かった。