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鬱くしき日記 07/21 一握りの幸せ

いつもありがとうございます。
服薬のおかげか、退職した事による重圧からの解放からか、鬱症状は和らいできた。
ただ、まだ睡眠導入剤を飲まないと良く眠れない日が続くが、飲めば翌朝もスッキリと起きられる。

最近は一人での外出も出来そうかもなと思える日も多くトライしてみている。
未だある特定のポイントまで行くと急に不安感が襲ってくるが、こればかりは長年のものなので、自分の頭に安全だと叩き込むしか無い。

最近は著名人の方も鬱やパニック障害をカミングアウトしてくれて少しばかりは理解が広がってきているのかもと思っている。
ただの一般人の私が声を上げる何倍もの拡散力がある。
メディアでの報道などもある。
それと同時に著名人の方々も同じ人間なんだなと思える。
ストレス値や生活リズムなどは違えど、やはり体に無理をすると精神を病んでしまう。
これに関してはメンタルの強弱は関係ないと思っている。
むしろそんなに病むまでアクセル全開で進んだ事により発症してしまったことで所謂「頑張りすぎ」なのだと思う。

しかし、不幸な事にこの世は頑張りすぎてしまってはダメなようだ。
バカ真面目や正直者には少々生きづらい世の中のようだ。
つまりは容量良く手を抜くことが正義らしいのだ。その方が仕事も続けられて安定した収入を得られるのである。
ただ私はそうはありたくないと感じてしまうのだ。
常に人間は何事にも真摯に向き合い、当たり前のことを当たり前にしていきたいと考えてしまう。
それが鬱のトリガーになってしまっているのかもしれないが、性分に合わない。

しかし考え方を変えなくては再燃してしまう可能性はある。
そのために私はバカ正直に生きていても、バカ真面目に生きていても、どこかでブレーキをかけて一旦止まる事を選択する事も大切だと思う。

前職の上司が言ってくれた言葉が温かかったので紹介しようと思う。
【歩く】とは【少し止まる】と書く。
文字の作りとしての意味は違うらしいが、この説がしっくりきた。
矛盾しているようだが、止まってしまっても、止まっているように思えても確実に一歩ずつ歩んでいるのだ。
焦る必要は無い。
ゆっくり歩いていこう。

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