私はあなたの第何希望? ~~勝手にふるえてろ批判としての負けヒロインが多すぎる4話~~
勝手にふるえてろの映画版を見たときに抱いた違和感を解消してくれるような内容だった。勝手にふるえてろは松岡茉優演じる目立たないモテるわけではないインドア志向の主人公が学生時代から好意を抱き続けている(が、ほぼ接点が無い)男性「イチ」と会社の同僚で自分に好意を寄せているややノンデリの男性「ニ」を比較検討しながらそれぞれのエピソードも交えつつ結末としては「ニ」を選ぶといった内容なのだが。ここでいう「イチ」は一、つまり第一希望で「ニ」は第二希望を示す主人公のなかでの心の優先順位を表す呼称である。映画を見たときの違和感というのは、まず綿矢りさみたいな性格ねじ曲がり心理分析作家が果たしてこんな物分かりの良い話を書くだろうかというのと、「ニ」の人格があまりに無視され過ぎていないか、「ニ」が「イチ」の代替品であることがあまりにも露骨に描かれ過ぎてはいないかというものだった。負けヒロイン4話でいうと、アンナの立ち位置を基準にして振られた男が「イチ」、温水くんが「ニ」であり、勝手にふるえてろと同じシナリオで進めばアンナは温水くんとなあなあで付き合い始めるはず。でもちょっと待てよと。それでいいんですか桃香さん。桃香さんの曲は本当に凄いのにダイダスはあんなバンドじゃないはずなのに。でたでた正論モンスター。でも温水くんだって代替用品じゃないはずだよね。それ以前に「イチ」が好きならなんでその気持ちを否定して偽物の気持ちで妥協する必要があるの。ガルクラで仁菜と桃香のやり取りを見たとき、ザ・ハイロウズの不死身のエレキマンの「子どもの頃から憧れてたものになれなかったんなら大人のふりすんな」が連想されました。歌詞はそのまま第一希望しか見えないぜ不死身のエレキマンと続きます。負けヒロインのエンディングにおいても「偽物なんか興味はないわ」というフレーズ、本物だけを見つけたいという態度は負けたからって妥協したり諦めたりする必要なくない、偽物や代替品にとりすがってまで現実を繕ってみせる必要はなくて本当の勝利というのはもっとどこか別のところにあるのではみたいな価値観に依拠しているようでとても良かったです。多分原作者さんは恋に敗れたサブヒロインがポッと出の都合の良い相手キャラとくっつく展開が死ぬほど嫌いなんでしょう。あるいはこうも言えそうです。ほっぺたから横隔膜まで誰かを呪ってやるって気持ち膨らましてる負けヒロインがなんとか今日を生きていくには偽物にすがって青春を代替するか、ありやなしやの本物を追い求めて関係ぇねえ豚の生活(ぶっ壊れたっていいじゃん)するかのどちらかであると。「それにしても4話でトモチケ初交換なんて遅すぎませんかお兄様。プリパラ禁止の校則は小学生までですよ!」
1話見返してて、杏奈はどれくらい美樹さやかを意識してるのかと思った。呪いを溜め込んだ悲劇のヒロインとしての立ち位置と美樹さやかでは描かれなかったふてぶてしさや傷付き易い女の子ではないあっけらかんとした一面。泥棒猫にピンク髪の女を当ててきてるところで救いが主人公つまり中心や上からもたらされる展開について批判的な姿勢をとっているのかもしれない。負けヒロインたちのあくまで自助グループとして温水くんは決して主人公然とした振る舞いはせずあくまで話を聴くだけ寄り添うだけで物語をリードするというよりは読者に近い立ち位置の語り手として設定されている。そして冒頭部分、温水くんの浸る麻薬的な甘やかし物語と杏奈の浸る感傷的な悲劇のヒロイン物語、この二つの依存先=偽物が中断されることによって、それぞれの本当を見つける物語が開始するとみて良いのだろうか。