11月の荒れ
荒れる学級というと
どんなイメージであろうか。
心の荒んだ生徒がいて、ルールを堂々と破り、それに同調する生徒がいる。そんなイメージであろうか。
荒れは学校と直面した際の不安や負担から、生じる。
不安や負担に対し、不登校が個で回避するのに対し、集団で反抗し自分達の非公式ルールをつくるのが荒れである。
要するにやりたいようにやるということ、それは求められることが、とても苦しいからである。それは我慢するといったレベルでは、どうしようもない切実なものである。ここをわがままと切って捨てずに話を聞くことが肝心な部分である。
「わがままや例外は許しません」と学校側が正解であるルールをふりかざせば、荒れはより大きなものとなる。
何に困っていて、どういう手助けや条件があれば、正解に立ち向かうことが出来るのか。対話が必要なのだ。
対話しようにも話を聞かないので成立しないと嘆く人もいるだろう。生徒は話を聞いてくれた分だけ、こちらの話を聞こうとするものだ。
対話を避けて荒れを解決することは出来ない。対話ではなく対決を選ぶと生徒がそこにいられないという結論に向かっていく。
大人も疲れ果て、困っているときもある。誰かに話を聞いてほしいときもある。そんなとき、いきなり救急車を呼びましょうと言われても困る。
困っている子どもをさらに困らせる大人も多くいる。
その大人も困っている。
解決の糸口は子どもの話を聞くことにある。
という話を聞かない大人もいる。
困ったものだ。
月刊「授業力&学級経営力」11月号 明治図書
特集「11月の荒れに立ち向かう」
原稿「人間関係のチェックポイント」が掲載されています。