『宗教の起源 わたしたちにはなぜ〈神〉が必要だったのか』 R・ダンバー著
宗教認知科学とその周辺について、日本語で読めるものを見つけては入手しているのだけれど、これまで見つけたものは、どうも読み進めることができないでいた。
それはこれまで見つけた本そのものの問題とは限らない。本とのよい出会いにタイミングは重要な要素だ。ゆっくり読む時間がないときに手に取ったとか、こちらの頭がそれを受け入れる準備ができていないときに読み始めてしまったとか、そういうことはありがちなことだ。
今回、手に入れたR・ダンバー著『宗教の起源 わたしたちにはなぜ〈神〉が必要だったのか』という本は、そういう点で言うと、比較的のんびりと読み始めることができたというアドバンテージをもっていたのだが、するすると50ページも読んでしまった。本体部分が250ページほどの本の5分の1程度読んだくらいで、この文章を書きはじめているのもなんではあるが、早く紹介してしまおう。刊行は10月末。ほぼ半月前。
宗教の起源というタイトルから想像されるとおり、始まりはお馴染みのアニミズムということにはなるのだが、手早く進む内容は南の島の宗教事情ではなく、ヨーロッパの民間信仰の話であるのが非常に新鮮であった。
「宗教とは何か」「宗教はどのように始まったのか」「これまでに宗教はどのように研究されてきたのか」といった「お決まりの前おき」の捌き方が圧倒的にうまい。議論の深みに足を取られることなく、また、手短でありながら、おそらく本丸であるはずの宗教認知科学にどっぷり浸かってしまうのではないことを仄めかし、宗教の起源をめぐる問題への関心には、宗教研究の長い歴史に触れる必要があるとしながら、それを直ぐには扱わない。
宗教認知科学の周辺についての本で不満に感じているのは、宗教の歴史に関する記述の薄さである。それは別の本で補えばいいではないかという意見もあろうが、同じ著者が書いたものを同じタイミングで読むことで理解が促進される場合もある。それは宗教学の研究史についても言えることだ。
世界各地の宗教の歴史が序盤からそこここに散りばめられ、終わり近くの第8章には新石器時代から枢軸の時代までが語られることが目次で予告されている。個人的な好みからすれば、ここから読みたいところだが、読まずにいる。
最新の研究状況だけが知りたいわけではない場合、こうした研究史的な流れと、宗教研究全体との関係をどのように書き進めているかが書籍評価のポイントになる。
著者ダンバーはオックスフォード大学進化心理学名誉教授。叙述の手際よさはさすがのキャリアということなのだろう。20%のみ読了で言えることは、文章が読みやすいことである。翻訳者の功績もあるだろうけど、こういうのは著者の文体と当方の文体の相性がいいということなのではないかと思ったりする。その点でもラッキーな出会いである。
結末はさほどセンセーショナルなものではないだろうと予想している。
読んでから紹介しろということはあるだろうが、超自然との出会いというような宗教現象学的な側面、信じるという行為、宗教教団が形成されていく過程などの背後にある身体的生物学的な状況が語られるであろうことは目次から推測できる。
目次におけるプレゼンは重要である。
この先のことをこの形で紹介するのはあまり意味がないだろうというのは、言い訳ではあるのだけれども、真理でもあろう。
「ああ、読む準備が整っている」と思いながら、ページを捲り続けられる本との出会いは滅多にない。
「こっちは整ってないよ」と思いながら、この文章を読んでいる人には迷惑なことだ。しかし、そういう人にも別のところでそういう出会いはある。
ちなみに、悪趣味ではあるが、タイミングが合わずに保留になってしまっている宗教認知科学周辺の書籍は以下の通り。悪い本であるというわけではない。タイミングは大事だ。いつかそのタイミングが来ることを祈りつつ、紹介してみる。
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