距離感の詰め方というのを考える
このnoteは、他者との距離感の詰め方について考察をしてみるnoteとなります。よろしくおねがいします!
コミュニケーションとは?
ちなみにコミュニケーションとは
ではあるが、以前コミュニケーションについてまとめた記事もあるのでご参照ください↓
要はリアルだろうがSNSだろうが、双方向のキャッチボールというスタンスであり、情報伝達だけでなく互いに理解しあうという事実は変わらないという事。
なのだけれど、言葉の解釈によるスレ違いや切り取り方によって大きく婉曲して伝わる事もあるし、そもそもの距離感を測り間違える事もしばしばある。
一般的な距離感の定義として、
上に示した通り、それぞれの関係性で許される距離感というものはあります。
ある程度の知人以上の関係であれば、直径240cm〜150cm… まあいっても90cm辺り(個体距離...相手の表情が読み取れる空間)ではないかと推測されますが、
それがリアルなら割と段階を踏まえて距離感を調整していくはずの直径90cm~30cm〜0cm(密接距離...ごく親しい人に許される空間)の距離感が、SNSだと一氣に詰めてくる感じなんですよね
イメージだと
普通の詰め方は、上記のように段階を経て徐々に縮めていく感じですが、
上手ではない詰め方は、社会的な距離(圏外)から一氣に密接距離(しかも近接相)まで詰める特異的な詰め方で、相手をびっくりさせる、もしくは恐怖させてしまう詰め方になるんですよね
これは詰められる方はたまったもんではありません。
警戒心や拒絶反応を示すのは当たり前なので、たとえどんな良き言葉を発したり、行動を取ったとしても相手はすんなり受け入れてくれません
当たり前ですよね?
その相手が遠くの方に見えていた、何なら認識もしていなかった所から、一瞬で氣がついたら目と鼻の先に来てるんですから(´・ω・`)
コミュニケーションにおける上手な距離感の縮ませ方
逆に上手な詰め方だと思うのは、普通Ver.の段階である公共➠社会➠個体➠密接の遠接相までをスピーディーかつスムーズに詰めていく感じであり、相手に意識させる事なく、いつの間にかスルスルっと間合いに入ってた…氣がついたら居たみたいな感じかなと
自分の事を言うのは何ですが僕の場合、氣がついたらそばに居て、いつの間にか仲良くしてるよねとよく親しい友人や知人に言われています
まあ少し独特の間合いの詰め方のようではあるみたいですが…
客観的に考えてみると、僕が相手の事をファーストネーム呼びかそれに近しい呼称を連呼する事や、僕が興味を示すポイントがどうやら違うのでは?と思っていますが実際の所どうなのでしょうか…
会話内でとある事象について相手が●●と思った(感じた)のに対して、自分自身が共感し得なかった時なんかは、なぜそのように相手は思った(感じた)のかとても興味津々であり、そこに面白みを強く感じて深掘りをしてしまうからでは?
だって自分ではその同じ事象を見たとて、●●とは感じ得なかった訳ですから…
その感性は過去の僕には存在せず、一体何が相手にそう感じさせたのか、起こった出来事(事象)そのものではなく、事象に伴う感情にその人の歴史を垣間見る事ができるから余計に惹かれるのかもしれません
脱線したので話を戻しましょう
同じモノを見ていたとしても相手が同じように感じているとは限らない
そりゃそうだろ?と思うかもしれませんが、実際相手も同じモノをみてどのように捉えているかは擦り合わせていかないとわかりません
相手を自分自身の推測だけで察したい・理解したいっていうのは100%無理があります。何故なら認識する位置によって、下の図のように形の異なる様々な捉え方(断面解釈)ができてしまうので↓
そして認識線を通過する速度も違うので、全体像内のどれだけの量を今捉えられているのかも人によって変わってきます
自分自身の中で勝手な相手のイメージを作る前に、互いに言葉を交わし、真意を確認していきながら、距離感を縮めていくのがやはり大事なんだなと思っています
まとめ
・とりあえず圏外から一氣に密接距離の近接相まで詰める特異的な詰め方で、相手をびっくりさせる、もしくは恐怖させてしまう詰め方は辞める
・互いに言葉を交わさないと真意がわからないので、積極的にコミュニケーションを図っていく
雑ですがこんな所でしょうか?
僕もより氣をつけていたいところです(´・ω・`)
P.S. お読み頂きありがとうございました!
良ければ他のnoteもよろしくおねがいします\(ϋ)/♩
ここから先は
¥ 100
よろしければサポートお願いします!頂いたお氣持ちで更なる施術の検証に励み、皆々様に還元してまいります