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準備はできているか
この記事では2024年12月1日(日)の十日町教会における待降節(アドベント)第一主日礼拝のメッセージを公開しています。写真は今年のアドベントクランツです。芸術・工芸関連なんでもできる教会員さんがとてもすてきなクランツを製作してくださいました。礼拝に来た皆さん、「素敵ね」とうっとりしていました。
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聖書:マタイによる福音書24章36~44節
メッセージ本文
今日からアドベント
今日から約4週間、私たちはイエス・キリストの誕生を祝うクリスマスまでアドベント(待降節)という季節を過ごします。日曜日ごとにロウソクが一本ずつ灯っていく様子を見ながら、私たちはクリスマスが近づいていることを目でも見て過ごします。世間でも少しづつアドベントカレンダーが普及してきました。「アドベント」とは「到来」を意味する言葉です。待降節という漢字が意味する通り救い主イエス・キリストが世に降りてくることを待つ季節ですが、それは単にイエスの誕生を祝うクリスマスの到来を待つだけではありません。私たちはクリスマスを待ち望みつつ、世の終わりにイエス・キリストが再び世に来ることを待ち望みつつ過ごしています。
世の終わり
今日朗読されたマタイによる福音書24章はイエスが世の終わり、終末について語る場面です。前半では世の終わりの徴、兆候として起こる事柄が挙げられ、それらの事柄がすべて起こった後に人の子が大いなる力と栄光を帯びて天の雲に乗って来るのが見えると語ります。そして今日の箇所の直前でいちじくの木の教えが語られ、「枝が柔らかくなり、葉が出て来ると、夏の近いことが分かる。それを同じように、これらすべてのことを見たなら、人の子が戸口に立って近づいていると悟りなさい」と言われています。ここに書かれている「人の子」とはキリスト教会においてイエス・キリストを指すと考えられてきました。イエスはこの後十字架につけられて殺されてしまいますが神によって復活させられ、人々の間で40日間過ごすと天に昇って行ったと聖書は記しています。教会は世の終わりの時に天に昇って行ったイエス・キリストが再びやって来ることを信じました。教会は、世界が戦争で、災害で、疫病でどんなに悲惨な状態であってもイエスが再び来てくださるという希望を持って生きようとする信仰共同体です。
いつ来るかはわからないけれど準備する
クリスマスは毎年12月25日と日付が決まっています。だからこそもうすぐクリスマスだ、イエスさまを迎える準備をしようという気持ちを持つことができますが、終末、世の終わりはそうはいきません。なぜならそれがいつ来るのかが分からないからです。「その日、その時は、誰も知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存知である。」とイエスは言っています。父とは神さまのことですから、神さまだけがその日がいつなのか知っているということです。私たちはいつ来るのか分からないその日に備えて待つことが求められています。でもこれってとても難しいことですよね。目標となる期限があってそこまでの期間準備するのと、期限が分からずずっと準備し続けるのとではやる気を維持していく難易度はかなり変わると思います。それでもイエスは「用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである」と言って私たちに用意を呼びかけています。待降節(アドベント)はイエス・キリストの誕生を祝うクリスマスまで私たちの思いと行いを準備する期間であるだけでなく、いつか来る、しかも思いがけない時に来ると言われている終末の時、イエスが再び世に来たりたもう時を意識して、その準備をする時でもあるのです。
イエスは終末が思いがけない時に来ることの例として旧約聖書・創世記に記されるノアの箱舟の話をしています。そこでは洪水によってノアが作った箱舟に乗った生き物以外のすべてが失われてしまう物語が描かれていました。イエスは「洪水が来て一人残らずさらうまで、何も気が付かなかった」と言います。そうです。洪水は突然来るのです…。
防災のお話
先月泊まりがけの園長研修会に参加してきました。園長1年目の私にとっては分からないことだらけなので研修を通して専門的なお話を聞くことができるとてもありがたい機会でした。中でも最も私の心に刻まれた研修は防災の話です。保育園では毎月避難訓練を行っていますが、実際に災害が起きた際にどのようにしてすべての命を守ることができるのか、訓練のための訓練ではなく本番に備えた訓練ができるような心構えを教わりました。
お話しくださったのは佐藤敏郎さんという方で、宮城県石巻市出身の方です。2011年3月11日に発生した東日本大地震の際には宮城県女川第一中学校に勤務していました。当時は3月12日に中学校の卒業式が予定されていたそうで、震災発生時刻にはたくさんの生徒が学校で卒業式の準備をしていました。ものすごい揺れが収まった後、校内に散らばっている生徒・教諭たちに一斉連絡をしようとするも停電しているため校内放送が使えません。しかしそれまで佐藤さんは長い教員生活の中で一度たりとも校内放送が使えないという想定の避難訓練をしたことがなかったと言います。考えてみれば地震により停電が発生し校内放送が使えないというのは十分に想定できることです。でも、学校が計画する避難訓練ではいつも災害発生を校内放送で全校生徒に伝え、避難指示等を呼びかけるのが当たり前になっていて誰もそれを疑うことがありませんでした。加えて大地震は体育館の窓ガラスを割りました。体育館下の道はガラスの破片だらけでとても進むことができません。しかしやはり学校がこれまで立てていた避難計画では、体育館の横を通って校庭に出る経路になっておりそれ以外の経路を用いたことがありませんでした。そのような経験をして佐藤さんは「今までの避難訓練というのは本番を想定していない、訓練のための訓練だった。でもそれではダメなのだ」と語ります。
津波で大切な家族が命を落とす
佐藤さんが震災から得た教訓はそれだけに留まりません。実は佐藤さんは震災で大切な人を亡くした震災遺族でもありました。佐藤さんは当時3人のお子さんがいましたが、真ん中の子が石巻市にあった大川小学校に通っていました。卒業式を間近に控えた6年生でした。大川小学校と聞いてピンと来た方もいらっしゃると思います。石巻市立大川小学校では大震災が引き起こした津波によって全校108名中74名の児童と、10名の教師が亡くなるという震災によってもっとも大きな被害が出た学校の一つです。佐藤さんは最愛の娘さんを津波で亡くしました。大川小学校の当時の避難の様子は多くの疑問が持たれています。地震発生後に学校にいた児童は校庭に集められました。大津波警報が発令され、防災無線やラジオ、市の広報車がさかんに避難を呼びかけていました。その情報は校庭にも伝わっていて、児童も教師もそれを聞いていました。学校の体育館裏の山は緩やかな傾斜で、子どもたちの椎茸栽培の体験学習が行われていた場所です。もしもそこに避難していればみんな助かっていました。しかし大川小学校の児童、教師たちは地震発生から50分間、津波が来る1分前までどこにも避難せず校庭に待機し続けました。そして津波到達1分前になってようやく避難を開始しますが、なぜか山側ではなく津波がやってくる川の方に向かって行きました。そして避難する先で子どもたちは推定7メートルの高さの津波に飲まれて亡くなってしまったのです。
命を救う、守るために必要な備え
佐藤さんは言います。「時間も情報も手段もあったのに救えなかった、それはなぜかを議論することが必要です。………危機感がありながら『逃げろ』と強く言えなかったのはどうしてかを考察しなければなりません。守るべき命、しかも守ることが可能だった命を守れなかった事実から目を背けてはいけません。………誰も悪意をもっていたわけではありません。先生方はみんな一生懸命だったはずです。でも、救えなかった。きっと先生方は、黒い波を見た瞬間『ああ〇〇すればよかった』と後悔したはずです。個人の責任やミスを責めるのではなく、………子どもたちの命を真ん中にして、誠意を持って向き合えば、必ず方向性は見えてくると信じています。」いつ来るか分からない、突然襲うのが災害ですが、災害が起こったその時、本番で命を救うための準備が大切であるということを佐藤さんのお話を聞いて痛感しました。
世の終わりに向けた準備
イエスは人の子が再び来る日は誰も知らないけれど、ノアたちを襲った大洪水のようにその時は突然訪れるから目を覚まして用意していなさい、人の子は思いがけない時に来るからと私たちに告げています。私たちは世の終わりに再び来たりたもうイエス・キリストの到来に向けて準備はできているでしょうか。その準備をするのが待降節(アドベント)です。クリスマスは毎年決まった時にやってくる、いわば避難訓練のようなものです。ここに向けて私たちはアドベントの時を過ごします。ロウソクの色をご覧ください。紫です。皆さんのクリスマスのイメージは赤かもしれませんが、教会の典礼色において赤は精霊降臨日(ペンテコステ)の色です。アドベントの典礼色は紫で、「回心・節制・待つこと」を意味します。私たちはこの時期、クリスマスを待ち望むのと同時にいつか来る終末に備えて自分自身を吟味して良くない部分や貪欲な心があれば、神さまに喜ばれる生き方へと向きを変えていく、欲を抑えて過ごすことによって準備をいたします。
災害のように世の終わり、主イエスの再び来たりたもう日は突然やってきます。その時が来て、「あぁ◯◯しておけば良かった」と後悔しないためにアドベントがあります。クリスマスを待ち望むだけでなく、思いがけない日にやってくるその日に心を向けて備えましょう。
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