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布と人との関係性、何のために作るのか?

小学生の頃からずっと、家庭科、美術、習字などの「手」を使う授業が苦手…というか、嫌いでした。

なのに、2017年。

なぜか布に関心を持つようになり、しばらく悩んだあと、仕事を辞めて学校に行くことにしました。

もう、何が何だか分からない…状態での”学生”復帰生活でしたが、学校で色々な手仕事を学ぶうちに、自分が興味を惹かれる方向性が見えてきたというか、心が何かに引っ張られているように感じられました。

心を引っ張ぱっているモノが何なのか?…辿ってみると、どうも私は「糸」に引っ張られていたようでした。

こうして今は、「糸」で「布」を「作る」ところに落ち着いています。

そして次は、「作った布」を「使えるモノ」にするところに、行けたらいいなぁと夢見ています。

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あれから6年が過ぎ、今は2023年です。

なぜか今、このタイミングで、突然… 靈氣(れいき)を学んでみたい!という気持ちになったので、先月、セミナーを受けてきました。

靈氣とは、1922年(大正11年)に臼井甕男(うすい みかお)氏により創始された、手当てによる癒しの技術です。(詳しくはコチラ。)

にしても・・・


なんで今、私が… 靈氣(れいき)… なんだろう?

自分でも全く理解できませんでしたが、講習会の日程と私の都合がピッタンコだったので、東京に飛んで✈行ってきました。

内心ドキドキ❤ワクワクで講習会に参加したのですが、この手当ての技法を学ぶことができて良かったと、なぜか深く感じました。(怪しいモノではありません。ご安心ください。)

だからといって、なんで今、私が、靈氣なのか?は、今でも分かっておりません。

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糸と布とのにらめっこばかりしてきた、この6年間に、何度も心に湧いてきた疑問があります。

なんのために、私は、作るのか?

仕事を辞め、学校に通い始めて、元々好きでもなかった「作る」ことをする羽目になってから、私は、自分の心に、大きな抵抗があることに気づきました。

最初の頃は「イヤイヤ」作っていた/作らされていたような感覚でしたが、抵抗心が少しずつ収まっていくについれ、それは「楽しい!」に変わりました。

でも、それは長く続かず、そのうち「苦しい…」に変わってしまいました。(⇐長い冬の時代到来。❆⛄❄)

作ることが苦しいんだったら、辞めればよいだけの話です。

誰に言われて作り始めたわけでもないのに、なぜか、苦しくても「作ることへの挑戦を辞めよう」という気には、なれませんでした。(作ることを辞めた所で、戻れる職場もなかったですし。)

なので、糸と布とのにらみ合いを続けながら、今に至っているのです。(⇐ 使ってるのは、手でなく目👀…💦)

そこで、なぜか今、靈氣に出会いました。

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布を織っているとき、私の意識は、色んな所に飛んで✈行くようです。

手織りを始めてすぐの頃、意識が突然、縄文時代に飛んだので、これには驚きました。

そこから江戸時代を経由して、今は現代の混沌の中に落ち着いています。(⇐ここでの滞在が長びいてる。)

意識が勝手に過去の時代へ飛んで✈行ったとき、その時代のことを何も知らなかったので、少し調べてみようと思いました。

すると、当時の人々のモノづくり暮らしぶりに関する情報が見つかったりして、なかなか楽しかったです。

そうこうしながら、気づいた事がありました。

私たちは、布によって守られている。

いつの時代にも、布は、私たちを包み、守るために使われていたようでした。

今も、赤ちゃんは、生まれたら布で包まれ、人は、生きている時間の大半を布を身に着けて過ごし、死んだ時にも、布で纏われます。

人の一生を見つめてみたら、が、生まれてから死ぬまでの間、ずーっと私たちに寄り添ってくれている存在だったことが分かってきました。

これまでも、きっと、これからも、布と人とは、守り/守られながら、共生していく関係にあるのでしょうか?

人類に、その必要がある限り・・・。

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そういえば、思い出しました。

先日、東京で靈氣の講習会に参加した時、手を当てる部分には、手ぬぐいを置いて手当ての練習をしました。

顔や腕など、肌に直接触れるのを防ぐために、手ぬぐいを使った部分もありましたが、服を着ている部分にも、手ぬぐいを置くことがありました。(例えば、足とか。)

ここでの布(手ぬぐい)は、手当て「する人」と「される人」の間に入り、お互いの距離感を守ってくれていたのでしょうか?

それとも、手が冷たかったりして、手当てを受ける人が不快な気持ちにならないように、手ぬぐいが守ってくれていたのか??

もしくは、くさい(かもしれない)足に、手当てで直接触れなくて良いように、手ぬぐいは、手当てする人のことを守ってくれていたのか!?

などと、講習会で靈氣の練習をしていた時のことを思い出してみたら、1枚の布(手ぬぐい)が、色んな形で私たちを守ってくれていたことが分かってきました。

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布と人。

守り方/守られ方は、布によって、人によって、また、場面によって、時代によって、変化するかもしれません。

でも、何千年以上もの間、日々の暮らしの様々な所で、私たちが、布に守られてきたということは、確かな事実のように思います。

(私を守ってくれている布たちに、もう少し敬意を払わなくては…。)

私を守るためにが存在してくれているのだとしたら、

何のために、は布を作るのか?

改めて、考えていきたいと思います。



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