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結果にとらわれず、いま目の前にあるモノを大切に。

今、私はカリフォルニアに住んでいるのですが、先月、日本に帰ってきました。

日本に向かう道中で巻き上げた糸を使って、滞在中に短めのマフラーを1本編みました。

旅のお供は糸さんです♪

何の予定もなく気ままに編み始め、編みながら「マフラーにするか。」と決めました。

1週間くらい編み、ほぼ出来上がった時に母に見せたら、父に使わせたいと言うので、そのままプレゼントしてきました。記録写真も残さずに。

マフラーにはブルーとグレーの糸を使いました。


カリフォルニアの誰かに着られていたセーターが、解かれてとなり、広島でマフラーに生まれ変わって、父の手に渡りました。

これから、広島で活躍してくれたら嬉しいです。
(^^)

※次に帰省した時は、マフラーの使い心地や、その他の感想を聞いてみようと思っています。

で、その翌日。


束の間の帰省を終え、私は帰路に就きました。

毎度おなじことですが、帰りの道のりは、とーっても寂しいですね。

ま、自分が選んだ道なんですけど。

そして、いつも思います。

ガヤガヤしていた我が家から、図体のデカい初老の娘が去った後、自宅に残された両親は、もっと寂しいのではないか?と・・・。

それは、もう何年も前に、家族がサンフランシスコに遊びに来てくれた時、みんなが日本に帰ったあとで、私が感じたことでした。

さっきまで、わいわいガヤガヤ賑やかだったはずの我が家が、見送りの空港から戻ってみると、急にシ~ン…となっていて、まるで部屋から魂が抜けたかのように感じられ、めちゃくちゃ寂しい気持ちになったのを覚えています。(チ~ン…。)

とはいえ、、、

うちの両親は前だけ向いてて切り替えが早いので、案外アッサリしているかもしれませんが。(特に年々、そうなってる気もする。)

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ということで、

糸がたくさん残っていたのと、寂しさを紛らわすためもあり、私は、日本からの帰り道に、もう1本、マフラーを編むことにしました。

この棒針編みは、帰りの飛行機の中で編み始めた、マフラーになる予定のものです。

⇓⇓⇓

一同、無事にアメリカに戻りました。


今回、かなり久しぶりに編み物をしてみて、変化があったことに気づきました。

これまで、編み物をすると異常に肩が凝り、手が痛くなって、心底燃え尽きたようになってしまうため、長時間、編むことができなかったのです。

でも、なぜでしょう?

今回は、一週間まいにち編んでいたというのに、マフラーを1本編み終えた後、2本目に着手するエネルギーが残っていたので(心も体も!)ビックリしました。

実は近年、無茶な編み物のし過ぎで痛めた手首の痛みがひどくなっていて、少し編んだだけでも重症になっていたので、編み物をするのをセーブしていたのですが、

今回は、あら不思議!

手や肩の疲労は多少あっても、前みたいに燃え尽きたようには、ならなかったのです。

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私は、高校生くらいの時に母から編み物の基礎を学び、以後は、かなり自己流で編んできました。だから多分、針や糸を変な風に持っていたりするから、体のアチコチが異常に疲れてしまい、さらには、編み物を始めるとメチャクチャ没頭してしまい、ろくに休憩も取らずに編み続けてしまうため、心身ともに燃え尽きてしまうのでした。

でも、ですね。。。

今回も、それまでと同じ自己流のやり方で、母とオシャベリしながらも手はズーっと動いていて、一人で黙々編んでいた時間も結構あって、いつもと変わらず、かなり根を詰めて編んでいたと思うのですが、、、

にもかかわらず!

手も肩も、そこそこの疲れだったのです。

そして心は、とっても元気でした!

で、めでたく。

2本目に着手、となったのでした。

そして、テイクオフ!

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これまでの自分と何が違うんだろう?

不思議だな~。。。

などと考えていたら、思い出しました!


今回、編みながら、「ただ、まっすぐ編むだけ」の単純な行為を楽しんでいる自分がいた、ということを。

いつもだったら、出来上がりが気になり、配色や見た目、その他諸々の事も気になります。

だから、少し編み目が変になったりすると許せなくなり、やり直しを何度も繰り返していました。

また、編み物の本を見ては素敵な図案を探したりして、「お手本通りに作らなければ!」というプレッシャーも、過去には大いにありました。

でも今回は、先のことは考えず、ただ目の前にある糸を使って、それで作れるものを編もう、程度の軽い気持ちで編み始めて、なんとな~くマフラーが出来上がったという感じです。

で、出来上がった時に、いつもだったら出現してくる批判的な自分は、いませんでした。

なぜか、出来上がったマフラーが可愛く見えて、愛おしいような気持ちになったので、内心ちょっと驚きました。

「この子、かわいい❤」と、まるで、命ある存在のように。

今回、マフラーを1本仕上げた時に疲労感が少なかったことには、他にも理由があったのかもしれませんが、自分の心が、それまでに比べて、とっても軽かったことは自覚していて、編みながらも不思議に思っていたんですね。

「あれ?今回、編むのが楽しいぞ。なにこれ?」


と、編みながら何度も思ったんですよ。

ちょっとワクワクするような、軽やかな気持ちです。

これまで何度も編み物にトライしては、途中でやめて、編み物には自信がなかったんです。

おまけに、疲れるし、落ち込むし、いいことないじゃん、とか思ったりもしていました。

だから、今回、1本目のマフラーを編んでいる時の純粋な「ワクワク、楽しい」気持ちと、編み終えた時の清々しさや、「かわいい」「ありがとう」といったような感覚は、高校時代に初めて編み物に挑戦してから30年余りの間で、初めて抱いたように思います。

あわせて、マフラーを誰のために作るとか、何のために、どう作る…などといったことも一切考えていなくて、ほぼ出来上がった時に、まさか母が、このマフラーに興味を示すなどとは予想だにしていなかったので、こちらも新鮮な驚きでした。

何も考えずに作ってみたら、「使いたい」って言ってくれる人がいてくれた。

⇑ たったコレだけのことなんですけど、たかがマフラー、されどマフラー。

古びたセーターだった糸が、使ってもらえるモノになったのも、正直とても嬉しかったです。

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「お手本」に沿うように作ろうとしていた時は、完璧なモノを目指し過ぎて、素直に楽しむことができなかったのかもしれません。

不器用な自分が、プロが作った作品を真似て同じように作ろうとしても無理なのは当然なんでしょうけれど、まさか、それが見えないプレッシャーと苦痛を自分に与えていたなんて、気づきもしませんでした。

「お手本」を持つことによって、糸が布になる過程を楽しむことや、糸という存在のことを思う気持ちを持つことよりも、お手本のコピーを作ることだけに神経が集中してしまうから、体だけでなく、心まで疲れ果てていたのかもしれません。

目の前にある糸に重点を置き、作品の完成図を敢えて持たずに作ることで、素材を大切にし、結果を気にせず、目の前の作業だけに集中して、途中経過を楽しみながら編み物に取り組めたことは、思った以上に学び多き体験だったのかもしれません。

で、その結果、使い手が見つかるという思わぬ成果が得られたので、私も嬉しいですが、元セーターの糸たちも喜んでくれているカモしれません。

これから何かを作る時は、

今回の編み物に学んだことを教訓にしよう!

と思いました。

みんな、ありがとう!

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