【トランスジェンダーは火破りの刑!?】プロセカのロウワーに異議申す【歌詞解釈・考察】
・前置き
プロセカを楽しく遊んでたのですが、ちょっとストーリーと楽曲をみてみたらとんでもないことが発覚したので、とりあげたいと思います。問題の楽曲は『ロウワー』と25時、ナイトコードで。のストーリーなどにあります。
・トランスジェンダーは火破りの刑にされないといけないのか!?
簡潔にいうと、キリスト教とトランスジェンダーを結びつけ、トランスジェンダーの人(もしくはそれに関わる人も含めて)を十字架の火やぶりの刑にして生贄にしている描写がある。
上はプロセカ版、下は原曲版
プロセカ版では華やかな動画でごまかしてるのでこれだけ見ると気づかない。原曲版の方はダイレクトに描写しています。プロセカ版と原曲版のMVは装飾品などで原曲版の動画と関連づけられているだけでなく、『ロウワー』自身もストーリーの書き下ろしということもあり、ストーリーにも楽曲の内容が色濃く反映されています。
>楽曲のモチーフはモチーフとなったのは、イエスキリストの最後の晩餐からのユダの裏切り、もしくはそれをモチーフとした太宰治の短編小説『駆込み訴え』であると考えられる。
推測どころかどうみてもそうとしか思えない描写ですが。いずれにしてもキリスト教です。MVにも十字架やキリスト教に関わる装飾が散りばめられているので100%キリスト教をモチーフにしています。
・MVや楽曲だけだろうか?
(1)暁山瑞希(ハーミットリバース)・特訓後の花
(2)さすらう隠物の道程ガチャバナー画面の花
直接貼る訳にはいかないので、各自で検索等してもらってほしいのですが、問題となるのはその花。モチーフになっている花は、セイヨウハナズオウと考えられますが、原曲MVの花とガチャ等の花が一致してます。これもキリスト教関連のモチーフです(ユダの木)
なので、曲の意味を運営側が何も知らないでやっているとはとうてい思えません。つまり制作陣と楽曲制作はキリスト教であることは把握してやっているわけです。楽曲提供者が勝手にやっていたとはならないはずです。
MVの細かいストーリーは各自でみてもらってください。原曲の動画の魔女にあたるのがおそらく絵名、メイドが瑞希とではないだろうかと考えられますが、魔女が火破りの刑にされた後、メイドは魔女の帽子を被り、最終的には同じ運命を辿るであろうことが示唆出来るので、どちらがどちらなのかというのは、どちらにせよ変わらないです。
プロセカのストーリーでは、直接火破りの刑にする描写こそはされていませんが、瑞希は絵名に嘘をつき今の現状を永遠に続けるため秘密を絵名に打ち明けないことを選びます。一方、絵名はいつか待っていれば秘密を打ち明けてくれるであろうと信じて待ち続けることを選びます。
絵名は当然、どんなことがあってもずっと待ち続けると決心して瑞希と約束までしますが、嘘をつかれているとは当然思っていないので、打ち明けることがない瑞希によって永遠に苦しむことになります。原曲MVと関連づけるなら、十字架にされて火破りの刑にされている最中というところでしょうか。一方、瑞希は嘘をついたので、絵名に対して罪悪感を感じながら苦しむことになります。つまり、瑞希だけの苦しみだったはずが、悩みを考えてくれる絵名をどん底に突き落とし、互いに苦しむことになります。原曲MVの描写表現が一致する訳です。とくに何もなければ、MVの火破りの後を考えれば、瑞希がどうなるかは容易に想像つくはずです。
楽曲の歌詞についても同様で、詳しいことは省略しますが、祈りだとか、離れるならとか、救われるとか作詞に含まれており、MVやストーリーともに関連しています。
ストーリー+楽曲+各種MV+キャラで完成ですが、どれも密接に関連しており、単独で見ればという解釈にはなりません。それぞれの意味の説明はそれぞれのコンテンツで説明されており、トランスジェンダーを抱えている人が火破りの刑にされて苦しませる描写をするという表現をするになるはずです。
瑞希はトランスジェンダーではない!?
そんな言い訳は通用しない。
また最近追加された楽曲『ヴィラン』ではトランスジェンダーをテーマにした楽曲であり、歌唱はセカイVerでは暁山瑞希と朝比奈まふゆが担当しています。
瑞希を女装が好きな僕っ子ではなく、トランスジェンダーとしてのキャラクターとしての扱いで実装している。
・まとめ
我々、トランスジェンダーに悩む人達は、こうやって罪悪感を感じながら火破りの刑にされなければならないとプロセカ運営は言っているのでしょうか。
トランスジェンダーを扱った作品を描写すること自体は問題ありませんが、あろうことかキリスト教の宗教と関連づけさせ、トランスジェンダーで悩む人を火破りの刑にする描写をするってとんでもないですよ。
トランスジェンダーで悩んでる人はキリスト教にでも入信し、火破りの刑にされ、苦しんで生贄になれとでもいいたいんでしょうか?
この件は、誠に遺憾であり、決して軽々しいものではありません。
ColorfulPaletteさんは人生を彩るコンテンツをつくり続ける会社じゃないですか?最高のものづくりが、こうやってトランスジェンダー(関わる人含めて)を苦しませ、火破りの刑にすることが本当に最高のものづくりなのでしょうか?もしそうだとしたら、忌々しき事態ですね。
そういえば、ColorfulPaletteさんのプロジェクトセカイといえば、SEGAと協同開発ですよね?SEGAは『真・女神転生真シリーズ』を作っているATLUSをIPとして抱えていますよね?真・女神転生は、宗教のキリスト教などをモチーフに扱った素晴らしいゲームを作っているにも関わらず、SEGAがキリスト教が何なのか理解していないとは到底思えないのですが、どうなんでしょうか?
宗教のキリスト教とトランスジェンダーを軽々しく結びつけてはいけないってちょっと考えれば分かることを平然となぜやってしまうのか疑問です。
プロセカ自体はとても面白いリズムゲームであり、将来性もあります。こんなトランスジェンダーを苦しませるためにゲームを作っているんですか?
遊んでくれているプレイヤーを満足させ楽しませ人生を豊かにさせてくれるようなゲームを作っているんじゃないのですか?
今後はよく考えてコンテンツを作ってくださるようお願い申し上げます。
・キリスト教はなぜやばいのか?
おまけですが、日本人なら宗教がやばいって考えている人は結構いますよね。実はやばいんですよ。某政治団体の宗教より遥かにやばいです。かつて過去存在している全ての宗教の中でも遥かに遥かにトップクラスのやばさです。(一番じゃないかな?)
そんなキリスト教がなぜやばいか一言で語れませんが、他者様の執筆で申し訳ないのですが、理解してみたい方はこちらをご覧ください。ちゃんと理解すれば、きっと当記事で言っている問題になっている理由が分かるはずです。日本人はキリスト教信者は少ないですが、絶対知るべきです。
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