私たちが分かり合えないのは「異性人」だから。
私たちはどれだけ異性と分かり合えているだろうか。自分は今まで男性として生きてきたが、女性と分かり合えたという実感は今までに一度も無い。見た目や行動など目に見えて分かるものもあるが、目には見えない何らかの壁が私たち異性との理解を遮っているように思う。
昔付き合っていた彼女との出来事なのだが、彼女がバイト先の人間関係に悩んでいた事があった。私はそんなに悩んでいるならバイト辞めたら良いんじゃない? 別のバイト見つければ良いよとアドバイスした事があったが、彼女は今のバイトは辛いけど好きだから続けたいと言うのだ。結局私があれこれ意見したが、彼女はそのバイトを辞めるともなく続けていた。
私はその時の辛いのに続けたいという彼女の思いを汲み取ることが出来なかった。理解出来なかったのだ。私が彼女の立場だったらなんだか面倒だなっと思ってすぐにでも辞めてしまうだろう。決して残って続けたいなんて微塵も思わない。それが正しいと思ってしまう。
なら、彼女は何故私にその話をしてきたのだろうか? 意見が欲しくて私に相談してきたのではないのだろうか。いくら考えても答えは見つからず、喉の奥に刺さった魚の骨のようにわだかまりが残っていた。
しばらく経ってその話を仲が良かった女の子の友達に話したら、それは駄目だよ。分かってないなと呆れながら言われてしまった。理由を聞くと女友達はさも当たり前のようにこう言ったのだ。
「意見なんて要らないし、欲しいなんて言ってない。ただ話を聞いて欲しかったんじゃない?」
私はその言葉を聞いた瞬間、すっとわだかまりが消えていくと同時に女性とは何て分かりづらいのだろうと思ってしまった。こんなにも身近に存在して、ましてや自分の彼女の気持ちを私は何一つとして理解していなかったのだ。大袈裟かもしれないが彼女との距離がまるで地球と月のように38万kmの長い距離があるように思えてしまった。
相談して私の意見が欲しかったのでは無い。ただ話を聞いて自分の気持ちに共感して欲しかったのだろう。辛いけど好きだから続けたいという彼女の意思に、私はただ寄り添えば良かっただけなのだ。
異性とは何て遠い存在なのだろうか。私たちと何処か似た彼女たちは私たちの身近に存在し、同じ言葉でコミュニケーションを取り、同じ人間であったとしてもまるで違う存在のように見えて仕方ない。
もしかしたら、彼女たちは何処か違う星から来た異星人。いや、『異性人』なのかも知れない。彼女たちだけではない。そして彼女たちから見たら、私を含めた男性という異質な存在は異性人なのだろう。だから、些細な事で食い違いが起きて喧嘩したり、分かり合う事が難しいのかもしれない。
私たち異性人が分かり合うには月と地球くらいの距離を少しずつ歩いて辿り着かなければならないのだろう。それでも、どんなに時間が掛かったとしても、私は一人の異性人として彼女たちと分かり合えたら良いなと思う。
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