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◆◆2024.8.9平和への誓い◆◆長崎平和宣言
◆ ◆ ◆
原爆を作る人々よ!
しばし手を休め 眼をとじ給(たま)え
昭和二十年八月九日!
あなた方が作った 原爆で
幾万の尊い生命が奪われ
家 財産が一瞬にして無に帰し
平和な家庭が破壊しつくされたのだ
残された者は
無から起(た)ち上がらねばならぬ
血みどろな生活への苦しい道と
明日をも知れぬ“原子病″の不安と
そして肉親を失った無限の悲しみが
いついつまでも尾をひいて行く
これは23歳で被爆し、原爆症と闘いながらも原爆の悲惨さを訴えた長崎の詩人・福田須磨子さんがつづった詩です。
家族や友人を失った深い悲しみ、体に残された傷痕、長い年月を経ても細胞をむしばみ続け、さまざまな病気を引き起こす放射線による影響、被爆者であるが故の差別や生活苦。原爆は被爆直後だけでなく、生涯にわたり被爆者を苦しめています。
それでも被爆者は、「世界中の誰にも、二度と同じ体験をさせない」との強い決意で、苦難とともに生き抜いた自らの体験を語り続けているのです。
被爆から79年。私たち人類は、「核兵器を使ってはならない」という人道上の規範を守り抜いてきました。しかし、実際に戦場で使うことを想定した核兵器の開発や配備が進むなど、核戦力の増強は加速しています。
ロシアのウクライナ侵攻に終わりが見えず、中東での武力紛争の拡大が懸念される中、これまで守られてきた重要な規範が失われるかもしれない。私たちはそんな危機的な事態に直面しているのです。
福田さんは詩の最後で、こう呼びかけました。
原爆を作る人々よ!
今こそ ためらうことなく
手の中にある一切を放棄するのだ
そこに初めて 真の平和が生まれ
人間は人間としてよみがえることが出来るのだ
核保有国と核の傘の下にいる国の指導者の皆さん。核兵器が存在するが故に、人類への脅威が一段と高まっている現実を直視し、核兵器廃絶に向け大きくかじを切るべきです。そのためにも被爆地を訪問し、被爆者の痛みと思いを一人の人間として、あなたの良心で受け止めてください。そしてどんなに険しくても、軍拡や威嚇を選ぶのではなく、対話と外交努力により平和的な解決への道を探ることを求めます。
唯一の戦争被爆国である日本の政府は、核兵器のない世界を真摯(しんし)に追求する姿勢を示すべきです。そのためにも一日も早く、核兵器禁止条約に署名・批准することを求めます。そして、憲法の平和の理念を堅持するとともに、北東アジア非核兵器地帯構想など、緊迫度を増すこの地域の緊張緩和と軍縮に向け、リーダーシップを発揮することを求めます。
さらには、平均年齢が85歳を超えた被爆者への援護のさらなる充実と、いまだ被爆者として認められていない被爆体験者の一刻も早い救済を強く要請します。
世界中の皆さん、私たちは、地球という大きな一つのまちに住む「地球市民」です。
想像してください。今、世界で起こっているような紛争が激化し、核戦争が勃発するとどうなるのでしょうか。人命はもちろんのこと、地球環境にも壊滅的な打撃を与え、人類は存亡の危機にさらされてしまいます。
だからこそ、核兵器廃絶は、国際社会が目指す持続可能な開発目標(SDGs)の前提ともいえる「人類が生き残るための絶対条件」なのです。
ここ長崎でも、核兵器のない世界に向けて、若い世代を中心とした長年の動きがさらに活発になっています。今年5月には、若者版ダボス会議と呼ばれる国際会議「ワン・ヤング・ワールド」の平和をテーマとした分科会が、初めて長崎で開催されました。
世界の若い世代が主役となって連帯し、行動する輪が各地で広がっています。それは、持続可能な平和な未来を築くための希望の光です。
平和をつくる人々よ!
一人一人は微力であっても、無力ではありません。
私たち地球市民が声を上げ、力を合わせれば、今の難局を乗り越えることができる。国境や宗教、人種、性別、世代などの違いを超えて知恵を出し合い、つながり合えば、私たちは思い描く未来を実現することができる。長崎は、そう強く信じています。
原子爆弾により亡くなられた方々に心から哀悼の誠をささげます。
長崎は、平和をつくる力になろうとする地球市民との連帯のもと、他者を尊重し、信頼を育み、話し合いで解決しようとする「平和の文化」を世界中に広めます。
そして、長崎を最後の被爆地にするために、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けてたゆむことなく行動し続けることをここに宣言します。
2024年(令和6年)8月9日
長崎市長 鈴木史朗
【全文】長崎 被爆者代表 三瀬清一朗さん「平和への誓い」
長崎に原爆が投下されて9日で79年です。
長崎市の平和公園で行われた平和祈念式典で、被爆者を代表して三瀬清一朗さん(89)が「平和への誓い」を述べました。
三瀬さんは、被爆から数日後、通っていた国民学校を見に行った時のことについて「目に入ったのは男女の区別もつかないほど血だらけの人や、上半身裸で傷を負った人だった。自分の学校が死体処理場に変わった光景は今でも忘れられない」と振り返りました。
平和への誓い全文です。
11時2分、止まったままの柱時計を見るたびに79年前の悪夢がよぎります。
当時、私は10歳。
夏休み中で、午前中に警報が解除され、母と祖母は洗濯と炊事を始めていました。
私は家にあったオルガンで、B29の爆音をまねして、ブーンブーンブーンと音を出して遊んでいました。
それを聞いていた祖母が飛んできて「敵機が来たと間違われるから止めなさい」と叱られ、しぶしぶオルガンの蓋を閉めて立ち上がろうとした時、ピカッとまぶしい閃光(せんこう)が走りました。
とっさに学校で教わったとおり、指で両耳・両目を押さえ、オルガンの前に伏せました。
次の瞬間、ドーンと鈍い音が響き、続いて、爆風が家の中を吹き抜けるのがわかりました。
その間、恐怖におびえながらじっと堪えていました。
やがて静かになったので、恐る恐る頭を上げて辺りを見回すと、惨憺(さんたん)たるありさまで、太陽が落ちてきたと思いあぜんとしていると、洗濯していた母が狂ったように子どもたちを捜し始めました。
我が家は8人家族、幸いにも全員無傷でした。
数日かけて家の中を片づけ、当時通っていた伊良林国民学校の事が気になり、友人と様子を見に行きました。
目に入ったのは、「水を下さい、水を飲ませて下さい」と弱り切った声で懇願している、男女の区別もつかないほど血だらけの人や上半身裸で傷を負った人でした。
体育館に運び込まれた人たちは、誰かが手当てをしたり水を飲ませたりすることもなく、ただ寝かされているだけで、体育館の中は夏の暑さと漂う異臭で地獄のような状態でした。
先ほどまで苦しさにわめいていた人が急に静かになったと思ったら、既に息絶えており、大人が頭と足を抱えて校庭に運び出し、穴を掘り、板の上に遺体を載せて焼いていきました。
自分の学校が死体処理場に変わった光景は、今でも忘れることができません。
あれから79年、私たち被爆者は健康不安におびえながら、核廃絶を訴えて来ました。
しかしながら、海外に目を向けると、ウクライナやパレスチナなど戦火は収まるばかりか泥沼化しており、多くの子どもたちが命を落としています。
この悲しい現実を目の当たりにして、戦争の愚かさから目をそらすことはできません。
平和の尊さを痛感する毎日です。
現在地球上には推定1万2120発の核弾頭が存在すると言われており、世界においては核兵器の使用が示唆されるなど、一触即発の緊張が続いています。
万一使用されるとこの地球がとんでもない状態になる可能性さえあります。
本日ご列席の岸田内閣総理大臣へ申し上げます。
子どもや孫たちが安心して過ごせる青い地球を残していくために、被爆国日本こそが、核廃絶を世界中の最重要課題として、真摯(しんし)に向き合うことを願ってやみません。
私は、2015年から長崎平和推進協会の語り部として、長崎を訪れる修学旅行生や次世代を担う若者たちに核兵器の恐怖を語り続けており、2023年から英語による活動も始めました。
平和とは何かを皆さんと一緒に考え、可能なかぎり続けてまいる所存です。
最後に ”peace is a world heritage shared by all humankind”、平和は人類共有の世界遺産であると申し上げ、亡き御霊へささげる平和への誓いの言葉といたします。
2024年(令和6年)8月9日被爆者代表 三瀬清一朗
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