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なんで勉強するの?に答えるために

先日こちらの記事を拝読し、ここらで自分の考えをまとめてみようと思い立った。

私はこれまでずっと勉強をしてきた人間だ。
どうして私は勉強するのだろう?
子どもに「どうして勉強するの?」ときかれたらなんて答えよう?
と、自分が高校生くらいのときから自問自答してきた。

その答えは私自身が歳を重ね、経験を重ねるたびに変わってきた。

まず高校生の私はこう考えた。

「選択肢をなるべくたくさん残すため」



高校生の時点で夢がなかった自分が、将来のためにできることといえば、とにかく幅広く可能性を残すことだった。
勉強をしておけば、スポーツや音楽で第一線を張るのは難しくとも、近い将来やりたいことが見つかったときに大幅な方向転換なしに切り替えられるだろうと考えた。

実は進路も総合大学で文理両方の人間が入り混じっているような学部に行こうと思っていたのだが、受験に失敗し結局理系オンリー大学の工学部へ。
これが原因で自分の幅(思考)をキュッと狭めてしまった。

高校生の私が思っていたことは正しい。

勉強をしっかり”していれば”、私は希望する学部に入って、色々な考えの人に触れることができ、結果として将来の選択肢をよりたくさん残せた可能性がある。

そうして大学院を卒業し、新卒で大手ゼネコンに入り、今度はこう思った。

「勉強ができることと社会で活躍することは比例しない。だから勉強はそこそこでいい」

ここには色々な意味が含まれる。
まず大手ゼネコンに入ったことで、大企業に就職する=いい大学を出ることが必須ではないことを知った(ゼネコンだからだろうけど)。
そして結局のところ、そういった会社には学閥が存在し、その学閥は大学の偏差値の高低よりも出身者の人数が多いことが重要であり、出世は学閥に左右されるという事実を身に染みて理解した。

一方で、会社の内外関わらず、自分よりもはるかに優秀な人はたくさん出会ったが、その優秀さは出身大学の偏差値にはあまり関係がないようであることも理解した。
(ただ同じ人間とは思えないほど成功している人とは関わったことがないので、そういった人たちの学力と優秀さの相関は不明)

子供を産んでからもその考えはほとんど変わらなかった。

「勉強するよりも好きなことを見つけることが重要だ」


すなわち私は子どもを産んでもなお自分の夢は見つけられずにいたので(高校生の自分よ、ごめん)、子どもにはぜひ好きなことを見つけ、そして学力至上主義に翻弄されることなく生きる力を身に付けていってほしいと思ったのだ。
(生きる力ってなんだ?このときは漠然としか考えていなかったけど、また別の機会に深堀します)

ところが最近、自分の人生をちゃんと歩むために、自分の好きなことをみつけることを目標に積極的に動き始めてから、また勉強に対する考えに変化が起こった。

「論理的思考力をつけるために勉強は必要だ」


好きなことをみつけること、その実現に向かって自分の足で進み続けるためには結局のところ高度な思考力を持つことが必要なのだ。
私の周りで会社を立ち上げているような友人は来る日も来る日も考え続けている。
勉強をすることで論理的思考力が育ち、結果として自己実現につながる。
そしてその過程で手助けをしてくれる友人は同じように論理的思考ができる人たちで、そんな友人と繋がることができたのは勉強をしてきてそれなりの高校や大学に入ったおかげだと。
「朱に交われば赤くなる」まさにこの諺の通りで、朱に交わるため勉強が必要だというのが現段階の答えである。

子どもがもう少し大きくなって「どうして勉強するの?」と問うてきたとき、どれだけその答えに説得力を持たせることができるかが私の今後の頑張りどころというわけだ。


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