まるで呼吸をするかのように
こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。
「相手の話を最後まで聴く」
いわゆる“傾聴”と呼ばれるモノの初歩でもある“これ”をやるのかやらないのかで、目の前の人とのその後の関係性が随分と違う形になってしまうのをこれまでに数えきれない程見聞きしてきました。
ウチは“他社のサポート”という仕事をしているので、基本的には常時「相手の話を最後まで聴く」というモードになっているつもりです。
そうすると、目の前の人からたくさんの話を聞かせてもらうことができるので、それと同時にたくさんの「なぜ?」を問いかける材料が手に入ります。
外部の第三者として関わらせてもらうと、この「なぜ?」がたくさんあればあるほど様々な角度から目の前の人とその組織について考えるための材料が増えていくので、それらの材料を駆使して目の前にいる人(たち)と一緒に“未来”について考えていくことで“現実”を変えることに繋げていきます。
そんなことをずっとやってきているので、僕も仲間もいつの間にやら「相手の話を最後まで聴く」ということを“全集中の呼吸 常中”的な感覚で日常的に扱えるようになっていたようで自分達も知らず知らずにずっと使い続けていることに、いつだったか気付くタイミングがありました。
きっかけが何だったのかはおぼろげですが、他の人同士が話をしている様子を見ていて、「あの人はいつも人の話の途中で割り込んできて自分の話に持っていくなぁ」と感じた時だったかもしれません。
そうやって気付いたタイミングがあって、それからじっくり“自分達”と“自分達以外”の人の“他者と話をする際の様子”をじっくり観察してみることで多くの人に“共通するモノ”が段々と見えてきました。
それは、「相手の話を最後まで聴く」を“やらない人”は、「“人間関係トラブル”に遭遇しがちである」ということでした。
とは言え、その“人間関係トラブル”に「当の本人が気付いているかどうか」というのは“当の本人”に感じていることや考えていることを訊く機会が無いとわかりませんが、少なくともその周囲の人の話を聴かせてもらうと程度の大小はありますが“人間関係トラブル”になっているモノやその火種になりそうなモノは確実に存在していました。
そして、これもまた“共通するモノ”でもあるんですが、「相手の話を最後まで聴く」を“やらない人”には「特に何の悪気も存在していない」ということも見えてきました。
極めて自然体だったり、場合によっては「よかれと思って」そう振る舞っていることがほとんどです。
「ただそう思ったタイミングで話す」とか「相手のためを思って、すぐにアドバイスをしてあげよう」なんて感じで、相手の話を最後まで聴くよりも随分と手前の段階で自分の話をするわけです。
だからこそ、“自分”が「相手の話を最後まで聴いていない」ということに、それができていない、やっていないということに気付くことが難しかったりするんじゃないか、と推測しています。
今よりももっとたくさんの人が「相手の話を最後まで聴く」をやるようになれば、きっと世の中の“人間関係トラブル”は随分と大きく減ってくるでしょうし、他者とコミュニケーションをとる中で発生する“怒り”の感情もだいぶ減ってくるとは思うんですが、「相手の話を最後まで聴く」をするためには時間がかかりますし、回りくどい話や簡潔にまとまっていない話を聴くことにもなるはずなので、そういう“ストレス”はかかるかもしれませんし、タイパは悪くなるでしょうから、「相手の話を最後まで聴く」の“効能”あらゆる人が知って体感して理解したとしても、「やらない」と選択する人もそれなりに出てくるのかもしれませんし、もしかしたら誰もが「やる」という選択をするのかもしれません。
どうなるかはわかりませんが、少なくとも「相手の話を最後まで聴く」ということがしっかりと実施される組織は“人間関係トラブル”が随分と少ないでしょうし、組織として発揮できるパフォーマンスは随分と高くなってくるだろうな、というのは容易に想像できます。
そして、この「相手の話を最後まで聴く」ということ&それによって生まれる効果を得ようと思ったら、“相手”に一方的にやってもらうだけでは成立しません。
言うまでもないこですが“コミュニケーション”は双方向でしか成立しませんし“対話”も自分と相手がいないと成立しないので、相手にも「やる」を選択して欲しいところですが、それよりももっとずっと手前で「自分自身がまずは、相手の話を最後まで聴く」を「やる」と選択して決断して実行しなければ“対話”は成立しないので、主体的に「相手の話を最後まで聴く」を意識して能動的に実践するところからしか始まらないんだろうなぁ、なんてことをこれまでに遭遇してきた様々な事例と自分自身の体験を振り返っても思います。
いつでもどんな時でも「やる」が継続できてはじめて“常中”なんでしょうから、今後も“傾聴の呼吸 常中”が乱れぬように日々の修行を見直さねばなりません。
あかね
株式会社プロタゴワークス
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