「喉元過ぎれば熱さを忘れる」を体現
こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。
昨晩、久しぶりにビールを飲みました。
久々に飲むビールはとても美味しく感じましたし、飲んでる時は気分が良くて、グイグイとグラスが進みました。
でも、途中から飲み進めるのにスムーズさを欠いているのを感じ始めてきたのでその時点で飲むのを止めて、お茶に切り替えたんです。もちろん、翌日への影響を考えてです。
これまで、常習的に飲酒をしていた時の酒量と比べてかなり少なかったので、「この位で飲むのを止めておけば、翌日に響く事は無いだろう」という確信と共に。その時は、我ながら「良い判断だぞ」と思ったんです。
で、今朝、目が覚めた瞬間、異変に気付きました。
仰向けのまま頭の位置を少し動かしただけで、まあまあストロング気味な頭の痛さを感じます。過去の経験を呼び覚ますまでも無く、「完全に二日酔いのヤツだな」という確信を持てる状態です。
こうなってくると、「自分が認識している自分の体の状態と、実際の自分の体の状態がまあまあかけ離れているのかな?」という疑問が湧いてきます。
『自己イメージの自分の体調』と『実際の自分の体調』の不一致。
昔は、こういう事が頻繁にありました。
いわゆる、「俺、まあまあ酒飲めちゃいますよ」のような、今で言うところの「イキり」的な感覚があったからです。今から考えると赤面モノですが、若い時分には、なぜか「酒強い=カッコいい」のような価値観が自分の中に強めにありました。もちろん、自分自身ではイキってるつもりなんて微塵も無いと思っていたはずなのに。
本当に今から考えると、「なぜ、あんな事を考えていたのか?」という疑問もありますが、その価値観が世の中に蔓延していたモノであり、それを知らない内に自分の中にガッチリと内面化していたというのも、今になって考えるとハッキリと理解できます。
だからと言って、「そういう時代だったから仕方ないよね」と開き直るつもりもなく、当時の事を思い返すと様々な失敗経験について、ただただ反省の気持ちと、色んな人への申し訳なさが同時に湧いてきます。その節は(どの節?)ホントに申し訳ありませんでした。
でも、いつの頃からか「自分は酒に弱いし、まあまあ飲めない」という自覚を持つことが出来て、それなりに平穏に酒席をエンジョイできるようになってきました。
そんな、「平穏な日々」を経験するようになって、過去の自分が囚われていた「酒強い=カッコいい」的な価値観が自分にとって如何に相応しくなかったのかという事を強く認識すると共に、自分が世間に広く蔓延している「一般的な価値観」について考える事をせずに内面化していたという浅薄さがとてつもなく恥ずかしいモノだったなあと猛省しました。
それからは、自分自身への戒めと記憶を風化させないために、「その当時の自分は、酒が好きだと思い込んでいた単なる『酒好きキャラ』であった」と、折に触れ話すようになりました。
『酒好きキャラ』だった事が証明されたエピソードとしてするのは、こんな話です。
自分が好きだと思っていたビールや缶チューハイを始めとした炭酸入りアルコール飲料を、試しに疑似ビール的なノンアル飲料に切り替えたら、ツラさを感じる事も無く、「酒飲みて―」と思う事も無く、十分に満足できてしまったんです。「だとするともしかしたら」と思って、単なる炭酸水に切り替えてみたところ、それでも十分に満足できるという事実に気が付いてしまいました。
そして、「自分が求めていたのはお酒ではなく、炭酸のシュワシュワだったのか!」という事に初めて気が付いてしまい、「一体、今まで自分が認識していた自分って何だったんだ…」と愕然としました。こんなお話です。
とは言え、それ以降キッパリお酒を止めたという訳でも無いんですけど。
「これだけの価値観の変遷があったのに、なんでまだ飲むの?」
そんな疑問が自分の中に立ち上がってくることも当然ありますし、この質問を人からされる事もたまにあります。
それについての回答は、未だにしっくりくるモノがありません。
もしかしたら、まだ、過去の価値観の呪縛が解け切っていないのかもしれません。
もしかしたら、飲みたくなる時はそのタイミングで体がアルコールを欲しているからかもしれません。
実際のところ、なぜなのか自分でもよく分かっていないので、何とも言い難いところではあります。
だから、今は、「そこに、酒があるから」という回答にしておこうかなと思います。
そうしておけば、今日もまたビールを飲んでしまった事への言い訳ができるかもしれないので。
あかね
株式会社プロタゴワークス
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