当たり前と当たり前がぶつかり合うのはなぜだろう
こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。
「そんなの“当たり前”すぎて考えたことも無かったなぁ」
ウチの会社が“他社・他者のサポート”をする際には必ず“対話”を用いて実施しています。
そんな“対話”の中では“問い”がとても大事だと考えているので、とにかく様々な角度からの“問い”を投げかけることに心血を注いでいます。
そうして投げかけた“問い”に向き合って“考える”をしてもらう際に、冒頭のような話が出てきたら心の中では「よっしゃ!」と声を挙げガッツポーズをしています。
なぜなら、「“当たり前”すぎて考えたことも無かったようなコトについて向き合ってじっくり考える」ということをして欲しいと心の底から思っているからです。
日々“仕事”をしていると、どうしたって「如何に“考える”という工程を少なくしてスピーディーに正解というアウトプットをするのか」という状態になっていくのある意味では“生産性の向上”を求める以上は仕方がないことなのかもしれません。
もちろん、そうやって“仕事”をした方が“生産性の向上”には繋がる場面は多いのかもしれませんし、“考える”なんてことを誰もがしている状態だとなかなかスピーディーに正解をアウトプットすることは難しくなるのは当然です。
でも、そんな“生産性の向上”をするために“考える”を減らしていくと大事なことが抜け落ちてしまうケースをこれまでにたくさん見聞きしてきました。
それは、「手段の目的化」です。
当初は“目的”のために様々な“手段”を考えて実行して辿り着いたのが今現在の“手段”だったはずなのに、いつの間にかその“手段”を実行することが“目的”になってしまっていて、その“手段”の手順通りから逸脱してはいけないとか、その“手順”を順序通りに進めることだけに固執して最終的なアウトプットの結果については誰も気にすることが無くなってしまう、なんてことが起きたりします。
そうやって年月を重ねていくうちに、「そもそも、この“手段”って何のためにやってるんだっけ?」という“問い”に答えられる人がいなくなるどころか、そんな“問い”を持つことも無くなっていき、「なぜ、この“手段”をとっているのか?」を誰もわからないままただただ“伝統”のようにその“手段”を実行しているだけ、なんてことにもなりかねません。
そうこうしている内に、当初は誰もが“手段”を“手順通り”に実行していたのに、段々と“我流の手順での進め方”が横行するようになっていって“手段”すらも正しいやり方を失ってしまい、“そもそも”の正解とされるアウトプットもされなくなっていって、あまり質の高くないアウトプットになっていってしまう。
そんな状況になっていった組織の状態をこれまでに幾つも見聞きしてきました。
でも、そうやって“変化”していくスピードが上がっていくのは規模の大きくない組織であれば仕方のないことなのかもしれません。
なぜなら、中小企業は比較的少人数で組織されているけれども人材の新陳代謝は速いので、現実的には“組織”というモノがどんどん“変化”しているんですが、その新陳代謝による“変化”の速度に対して“仕組み”が全く追いつかないというのが多くの中小企業に共通しているように見受けられます(もちろん、外部環境の変化による影響も大きく受けるのが中小企業の特徴でもありますが)。
だから、本来であれば“組織”そのものや、組織の“仕組み”を常に見直しながら、“目的”に対して必要があるのであれば“そもそも”から考えて変えていくことだって必要になるはずです。
でも、“それら”を実行するには労力も時間も費用も随分と必要になりますが、そこにそんなにリソースを割いてしまうと他の部分に割くモノが無くなってしまうかもしれません。
そういうこともあってか、“変化”というのはなかなか容易にできるモノではないんだろうなと思っています。
ただそうは言っても、組織の外部も内部も刻一刻と変化していてその変化の影響を強く受けてしまうのも中小気魚うの特徴であることは間違いないので、その組織の中にいる人達にはいつだって“そもそも”から“考える”ということをしてもらっていた方が良いのではないだろうか?なんてことを考えています。
なにしろ、“仕事”についてとか“組織”についての“そもそも”を考えるということは、最終的には“自分自身の働きやすさ”に直結してくるからです(「何がどう“働きやすさ”に直結してくるんだ?」と思うかもしれませんが、これを説明し出すと随分と長くなりそうなので今日の話の中ではここは一旦省略しておきます)。
そして、“自分自身の働きやすさ”に直結してくるからこそ、今まで“当たり前”過ぎて“考える”をしてこなかったようなコトを真剣に考えて、できれば、一緒に働く人たちにも“考える”をした意見についてお互いに共有できたりすると、自分の当たり前も誰かの当たり前も見えてきて、そして、そこから“今までに無かったような新しいモノ”を作っていくキッカケが生まれてくるかもしれません。
だからいつでも「自分の中の“当たり前”を疑う」ということをおススメしています。
「なぜ、それを“当たり前”だと思っているのか?」
そんな“問い”を立てて考えてみるのも面白いのかもしれません。
あかね
株式会社プロタゴワークス