だったらイケると思えてくるのさ
こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。
「〇〇とはどういうことか?」
という“問い”を立ててみることで、その〇〇について“考える”が進むことはたくさんありますが、時々この“問い”でもなかなか“考える”が進まなくなることがあります。
それは、自分自身がその〇〇について「全くよくわかっていない・ほとんど何も知らない」という場合によく起きるような気がしていますが、そんな時には少しだけ“問い”を変えてみます。
例えば、「〇〇ではないとはどういうことか?」という風に。
この“問い”を立てる時にいつも思い出すのは、ドラッカーが書いていた“真摯さ”についての内容です。
「“真摯さ”を定義するのは難しいが、“真摯さではないモノ”を定義するのは難しくない」というようなところから始まる「これは“真摯さ”ではない」という幾つかの定義についてです。
ドラッカーの言う“真摯さ”のように、“それそのモノ”を明確に定義することが難しいモノというのは恐らく結構たくさんあるんじゃないかと思うんですが、この“〇〇ではないモノ”を定義するとなるとこれが意外に誰でも気軽に「これは“ではないモノ”だな」と考えて話すことができたりします。
こうやって“〇〇ではないモノ”というのを考えて話をしていくことだけでも、その場にいる人達の中に「〇〇とはどういうことか?」ということについてのコンセンサスを形成することが可能になっていきます。
色んな人が集まって“なにか”に向かって協働していこうという時には、明確な言葉を掲げているかどうかはわかりませんが、間違いなく「かくかくしかじかこういうことを実現しよう」というニュアンスのモノをみんなで握って協働をしていくんじゃないかと思います。
ただ、スタート時は各々が“燃える気持ち”を持って始めたとしても、その協働を進めていくうちになぜだかはわかりませんが少しずつ不協和音が広がっていく、なんてことは恐らく多くの人が経験したことがあるんじゃないかと想像しますし、僕自身も数えきれないほど経験してきました。
ただ、そんな不協和音が広がってうまく進まないくらいの状態になったことについて、今思い返してみると、「“目指すもの”ではないとはどういうことか?」ということを、その協働するメンバーで握り合った経験が無かったからこその不協和音だったのではないだろうか?と思えてきます。
もちろん「それだけ」ではないのは間違いないでしょうが、それでも「“目指すもの”とはどういうことか?」と併せて「“目指すもの”ではないとはどういうことか?」ということについて定期的にそのメンバーで考えて、それを明文化して、みんなで共有できていたとしたらもしかしたら何か違った未来もあったのかもしれません。
特に“目的”のように抽象度が高くて、なんとなくみんなが分かっているような感じがするけどその実は何一つ明文化されているモノがなかったり“人によって”異なる受け取り方ができてしまうようなモノについては、今後は「~とはどういうことか?」と裏表の関係として「~ではないとはどういうことか?」もしっかり考えておいて、その場のみんなでどっちもしっかり共有することが重要なんだろうな、なんてことを考えています。
どんなことについても“表面”からも“裏面”からも光を当てて出来る限り全ての面をみんなで共有することができたとしたら、その組織内での様々な“ズレ”は大幅に抑えることができるのかもしれないと想像していると「だったらイケるぜ」という希望のようなモノが湧いてくるのを感じます。
あかね
株式会社プロタゴワークス
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