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心の叫びの赴くままに

こんにちは。

株式会社プロタゴワークスあかねです。

「とにかく話を聴いて欲しいんだ」

他者の話を聴かせてもらっている時に、時折、そんな心の叫びが聞こえてくるような気がします。

“他社・他者のサポート”という仕事をしていると、「他者の話を聴く」という場面は息をするくらい当たり前のこととして存在していますし、これをしないと自分たちの仕事は成立しないので、いわゆる“傾聴”という技術を「使おう」と意識することなく使っている“常中”の状態で話を聴くのが僕や仲間にとっての平常運転です。

そんな平常運転モードで“傾聴”をしているからなんだとは思うんですが、僕や仲間と話をする多くの人達はとてもたくさんの話をしてくれます。

僕たちよりもずっと若い人であっても、同年代の人であっても、年齢が上の人であっても、誰もがたくさん話をしてくれるので聴かせてもらっているこちらとしては知らないコトや聞いたことの無いコトにたくさん出会えるのでとても興味深いですしたくさんの学びを得られるので誰のどんな話でも飽きることがありません。

そんな中でも、なんらかの“悩み”や“課題”といった葛藤を抱えている人の話はとても興味深く聴かせてもらっています。

「どんなことに悩んでいるのか?」

「何を課題だと感じているのか?」

「なぜそう捉えているのか?」

「それが解消するとどうなると考えているのか?」

etc

他者の葛藤についての話を聴かせてもらっていると自然とそんな“問い”が湧いてきて、その“問い”について考えながら話を聴いて、時折それらの“問い”を投げかけたりしながら更に話を聴かせてもらう。

そうやって「“対話”をしながら他者の話を聴く」というのが僕にとっては物凄く楽しい時間です。

そうやってひとしきり話を聴かせてもらっていると「とにかく話を聴いて欲しいんだ」という相手の心の声が聞こえてくるような感覚があります。

そういう時には“問い”を投げかけるまでもなく、とにかくたくさん話をしてくれます。

まさに“堰を切ったように”とか“息つく暇がない”というくらいノンストップで話をしてくれる場合があります。

そんな風に、「とにかく話を聴いて欲しい」という心の声が溢れ出ている人は、いわゆる“おしゃべりな人”である場合もあるかもしれませんが、そうではない場合もあるだろうと思っています。

これまでにたくさん出会ってきた”「とにかく話を聴いて欲しい」という心の声が聞こえてくる人”に共通するモノって一体なんだろうか?

それを考えてみると、こんなことが見えてきます。

それは、「その人に周囲に、その人の話を“傾聴”してもらえる環境がないのではないか?」と。

これまでにたくさん出会ってきた“「とにかく話を聴いて欲しい」という心の声が聞こえてくる人”の中には、“友達が多い人”もたくさんいましたし“社交的な人”もたくさんいましたので、「一緒におしゃべりをする仲間がいない」なんてことは無いはずです。

ただ、“複数人で長々とおしゃべりをしている人達”を観察してみるとそこで起きているのは、「自分の話を聞いて欲しくて話をする人が集まって、隙あらば“自分の話”をする機会をうかがっている」という状況です。

誰かが話したことがあれば「そういえば私もこの前~」とか「わかる。私もそういうことあったよ~」なんて具合に、いわゆる“おしゃべりをする間柄”で繰り広げられる“おしゃべり”は、そんな風に“自分の話”の応酬が繰り広げられて話題はあっちへいったりこっちへいったりしながら、とにかくできるだけ“自分がしたい話”をするということが目的になっています。

そうなれば当然ながら「とにかく話を聴いて欲しい」という願いが叶うことは難しい場合が多くなるだろうと考えられます。

なぜなら、“傾聴”を駆使して相手の話を聴くということをやっている人は、世の中にはそんなにたくさんいないからです。

ほとんどの人が「自分の話をしたい」とか「自分の話を聴いて欲しい」という願望を持っていながら、その自分の願望に気付いていないんだろうと思えます。

だからこそ、誰かと会ったり電話をかけたりして“おしゃべり”を楽しんでいるのかもしれません。

そして、そんな“おしゃべり”と“対話”という名称の違いがあるとすれば、そこに“傾聴”が存在しているかどうかというのが最も大きな違いのような気がしています。

もちろん、「“おしゃべり”にも様々な効能がある」という話は様々なところで言われていますし僕もその通りだとは思います。

でも、“対話”には“おしゃべり”が持つ効能もありつつ、それ以上に様々な効能があるのを実感しています。

その効能の一つが「自分の話を聴き切ってもらえた」という体感を伴う“満足感”じゃないかと考えています。

そして、その“満足感”があるからこそ“対話”をすることでちょっとずつ変化が起きてくるのかもしれません。

これまで様々な人の話を聴かせてもらってきましたが、コミュニケーションの上手下手にかかわらず、会話の得意不得意にかかわらず、自己表現が好き嫌いに関わらず、ボキャブラリーの多い少ないにかかわらず、誰もが“自分の話”をたくさん聴かせてくれました。

そうやって“自分の話”をしてくれる人達を見ていると、「仕事を含めた日常生活の中で、“自分の話”を全て聴いてもらうなんていう状況は誰にとってもほとんど存在しないのかもしれないなぁ」なんてことを感じます。

もしもこれから先の未来で、“傾聴”が“読み書き計算”と同様に、誰もが内面化して駆使することができる基本的なスキルになったとしたら、「とにかく話を聴いて欲しいんだ」なんてことも無くなって、誰もが他者とのコミュニケーションの中で「自分の話をしっかり聴いてもらえた」という“満足感”を実感しながら毎日を過ごしていけるようになるのかもしれません。

そうなったとしたら、少なくともこれまでに僕が出会って話を聴かせてもらってきた人たちのようなモヤモヤを抱えた人たちは、もっともっと生きやすくなるんじゃないかな、なんて考えています。



あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/

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