まず最初の一歩をはじめられたら
こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。
「人が成長するには結局“やる”を経験しないとダメなんだよね」
ある経営者の方がそんな話をしてくれました。
その経営者さんの会社では、これまで時間をかけて社員教育に力を注いできたことで徐々に社員さんが成長して経営者の方がイメージしている状態に近づいてはきているようですが、曰く「まだまだなんであと何年かはかかるかなぁ」という状態だと認識しているとのことでした。
そんな中で最近の課題としては、40代~50代の“中間管理職”の社員さん達が“イマドキの若い人たち”の育成に手を焼いて困っていることが挙げられていました。
若手の育成を手掛けている“中間管理職”の方々は表現の違いこそあれ、ほとんどの人がこんなニュアンスの話をしてくれます。
「自分達は“厳しい環境”の中で仕事をしてきて、怒鳴られたり殴られたりしてきた。怒られないように、どうにか必死で仕事を覚えてきた。仕事を教えると言ったらそんなやり方しか知らないけど、今の時代はそれじゃダメだということはわかっている。でも、じゃあどうやって関わって教えればいいのかわからない」
こんな話を聞くと、「自分もそう思っていた時期が長くあったなぁ」ということを思い出します。
「1回しか教えないからよく見とけよ」
「集中して聞いとけよ」
「同じ質問を何回すれば気が済むんだ」
「何回やったらできるようになるんだよ」
「やる気ないなら帰っていいぞ」
「別にお前じゃなくてもいいんだから」
そんな言葉を数えきれない程言われた記憶がありますし「仕事できねーな」とか「つかえねーな」と言われた記憶も数えきれないくらいありました。
「また怒られるの嫌だな」とか「どうか怒られずにすみますように」なんて思いながらやっていたことを昨日のことのように思い出せますし、できることならあんな経験はもう二度としたくないな、とも思います。
ただ、その一方では「ああやってボロクソに扱われたからこそ、どうにか“できる”ようになるために必死でやって身につけたモノもたくさんあったのは事実なんだろうな」とも思っています(とは言え、「もう一度過去に戻って同じ体験をしますか?」と言われたら二つ返事で断りたいなと思ってはいますが)。
とは言え、「自分と同じように“心が痛くなるような言動”を他者に浴びせかけたりボロクソに扱って仕事を教えようと思いますか?」と聞かれたら、それはそれで「できればそういうことはしたくない」と答えようと思っています。
もちろん、誰かに仕事を教える側になったとしたら、教わる側の人には能動的に学んで欲しいですし主体的に仕事に取り組んで欲しいとは思います。
ただ、自分自身がそうだったからこそ「そんな人ってそうそういないよなぁ」と思うんです。
であれば、“あの頃”のような“厳しい関わり”をしないけれども、“あの頃”のように日々の仕事の中で着実に“仕事”を身につけて出来ることを増やしていけるように“仕組み”で実現できれば、元々が能動的とか主体的ではなかったとしても“仕事”が出来るように成長していくことはできるんじゃないだろうか?
そんなことを考えています。
何しろ、冒頭の話をしてくれた経営者さんが言うように、「人が成長するには結局“やる”を経験しないとダメなんだよね」ということは“いつのどんな時代”であっても間違いの無いことなはずなので。
逆に言えば、“やる”を経験することができれば「人が成長する」のに必要な条件をまず一つはクリアできたということなはずであって、あとはそこにプラスアルファを不随させることができれば“厳しい指導”が無かったとしても十分に“あの頃”と同じような効果が生み出せるんじゃないのかなぁ、なんて思っています。
あかね
株式会社プロタゴワークス
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