やればやっただけなにかにはなるでしょ
こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。
「やっぱり“実践する”ってことが大事なんですよね」
仲間との“対話”の中で度々こんな話になることがあります。
自分達自身の話であることもたくさんありますし、自分達が関わらせてもらっている人たちの話であることもありますが、「実践しているかどうか」ということが“現実”として目の前に立ち現れてきているのを様々な事象として認識させられることがよくあります。
特によく遭遇するのは、いわゆる“学び”というモノに触れた後のケースです。
“他社・他者のサポート”を仕事にしていることもあって、いわゆる“学び”というモノに触れる機会がたくさんあるんですが、自分たちが“学び”を提供することもたくさんありますし、自分たちが“学び”を獲得することもたくさんありますし、他者が“学び”を得る機会を見聞きすることもたくさんあります。
そんな“学び”に今まさに触れている場面での取り組み方も重要ではありますが、それよりももと重要なのが“学び”に触れた後にどういう行動をするのか?ということが最も重要だろうと考えています。
“学び”に触れた時には、その時のその場であは「なんかスゲー学んだ感じがするし成長した感じがする」なんて高揚感に浸るのはいつもの僕の“学び”の様子ですが、そんな高揚感も時間が経てば段々と薄れていってしまいます。
でも、その時の高揚感を継続的に味わうことができる方法もあるわけです。
それが“学び”の実践です。
単純に「自分が学んだことを自分で実践する」。
たったこれだけのことで“学び”を得た時の高揚感や成長実感のようなモノを更に味わえる可能性が高まります。
もちろん“実践”したからと言って「必ずあの高揚感や成長実感が約束されるわけではない」わけですが、それでも“学び”の実践とそれに対するフィードバックの獲得が正しく繰り返しながら継続してると否が応でも成長していってしまうので“学び”に触れた時の高揚感を得られるのは時間の問題です。
逆に言えば、「学びを実践する」ということが無ければ、何をどれだけ「学んだんだよ」と言ったところで、それはただ単に「新しい情報・知識が増えた」ということでとどまってしまいます。
もちろん、「新しい情報・知識が増える」というのは自分の中に“何らかに使えるかもしれない材料”が増えていくことにもなるわけですが、どんな情報や知識であっても「ただ知っている・ただ持っている」というだけでは、その情報・知識以上の“なにか”に変化していったり増えていくなんてことはありませんので、「新しい情報・知識が増えるだけ」ではあまり意味が無いんじゃないかとも思っています。
それなら、使わない情報・知識をたくさん持っているよりも、持っている情報・知識はあまり多くないけど“学び”をすぐに実践する方が、実践の中での情報や知識の意味や価値を体感を通して深く理解することに繋がります。
僕も仲間もそんな実感があるので、ウチの会社では「“学び”は実践されてこそ」と考えています。
そう考えているからこそ、
「やってみましたか?」とか「やってみてどうでしたか?」なんて尋ねてみることがよくあります。
「実践する」があれば必ず変化は起きますが、「実践する」が無く、ただ「“学び”ました」というだけでは結局は何も変わらないまま。
今から振り返ってみると「あれがそうだったんだろうな」なんて思えるような「実践するかしないか」での道筋の分岐のようなモノがたくさん思い出されます。
もう終わってしまっているコトから、今ならまだ間に合いそうなコトまで、色々と。
もしもまだ間に合う可能性があるのであれば今からでも遅くないから「実践する」ことで、この“現実”に何らかの変化を起こすことはできるんじゃないか。今でもそう信じています。
あかね
株式会社プロタゴワークス
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