嵐の中へ飛び込むように
こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。
「どうしてこんな諍いや揉め事が起きているんだろう?」
外部の人間として“他社・他者のサポート”をしていると、こんな“問い”について考えることがよくあります。
例えば、会社だったりそれ以外の組織をサポートするために関わらせてもらっていると、その組織の掲げる“目的”というものをまずは共有してもらいます。
「この社会の中で、何のために・何をするためにその組織は存在しているのか?」
この大前提となる“目的”を外部の人間として認識することで、その組織で起きている様々な問題について考える際の判断基準が手に入ります。
そうやって判断基準の軸となるモノを握ると、冒頭のような“問い”が自然と浮かび上がってきます。
例えば、「組織の中で諍いや揉め事が起きている」という状況があった時にその諍いや揉め事の当事者たちの話を聞かせてもらうと大抵は起きているコトが似通っています。
そんな“あるある”とは、
「どちか一方の人たち(もしくは双方の人たち)が、そもそもの“目的”を基準にしているわけではなくて“自分の価値観”を判断基準にしているから諍いや揉め事が起きている」という状況です。
そんな諍いや揉め事が起きている双方の人たちが、組織の目的を基準にして物事を考えてみれば、そもそもそんな諍いや揉め事は起きずに済んだのかもしれない、と思うことがよくあります。
とは言え、「じゃあ、組織の目的をみんなで共有できたらそれですんなり進むんじゃないの?」なんて思ったとしても、現実的にはそんなにすんなりは進みません。
何しろ、現状の諍いや揉め事まで行き着くまでに“感情のもつれ”が途轍もなくデカくなっていることがよくあるからです。
「理屈ではそうした方がいいのはわかるけど感情的に納得いかない」というような状態です。
そうなると“感情”の部分に目が行ってしまって「どうやって昂っている感情を落ち着かせることができるのか?」と考えてみたりもするんですが、これがなかなか難しいのは言うまでもありません。
じゃあ少し視点を変えて別のことを考えてみよう、と“違う視点”としてこんなことを考えてみます。
「そもそもの“組織の目的”は本当に共有されていなかったんだろうか?もしも、“組織の目的”は共有されたはずなのにもかかわらず今の現状になっているんだとしたら、大きな勘違いが存在しているのかもしれない」と。
“組織の目的”は共有されたはずなのに今のように諍いや揉め事が起きているんだとしたらそれは一体なぜなのか?
これを考えてみると幾つかの答えらしきものが浮かびあがってきます。
それを一つずつ考えてみながら“その組織”の姿を客観的に観察してみると、「どうやらこれなんじゃないだろうか?」というモノが段々と見えてくるので、それを一つ一つ確認しながら実際にはどうだったのか?を検証していくと、今目の前で起きている諍いや揉め事を解消するためのアプローチも見えてきます。
当然ながら、諍いや揉め事が起きているところに外部から関わっていくので“肚を括る”というのは必ずしなければ対処することはできません。それがあるからなのか精神的な負荷がきっと高くなっているんでしょう、それを表すかのように、その時間が終わると途端に脳みその疲労を強く感じて急激に頭の回転が鈍くなったり体が重く感じたり、なんてことがよくあります。
そんな日の帰り道は重たい体と鈍い頭ながら「あー今日もよく働いたなぁ」なんて実感できるので充実感のようなモノを感じることができるので、実際にはとてもキツイはずですがなかなか“好き”な時間なのかもしれません。
あかね
株式会社プロタゴワークス
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