早起きは三文以上の得でしょうがその大変さもまた三文以上な気がします
こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。
基本的に「土日祝は休み」というスタンスで仕事をしているんですが、時々はそれらの日にも仕事をしているという事はよくあります。
ただ、そんな場合は概ね、在宅での仕事である事がほとんどなんですが、今日は珍しく朝から会社に行って仕事をするという日でした。
普段、「土日祝は休み」にしているので平日と同じ時間帯に会社への通勤路を車で走る事はほぼありません。なので、久々にその時間帯に通勤路を通ったんですが、これがびっくりする程に道が空いているんです。今日は朝の8時半頃に会社に向かっていたんですが、「みんなまだ寝ているのかな?」と思うくらいの車の少なさでした。
でも、よく考えたらと言うか自分のいつもの土日を振り返ってみればすぐにわかるんですが、この時間は、確かにまだ布団の中にいることがあるわけです。だから、「みんなまだ寝ているのかな?」というのは、あながち間違いではないのかもしれないなあと思いながらの快適な通勤でした。
いつもだったら休みである土曜日の朝、平日は毎日通っている会社までの通勤路を、いつもと同じ時間帯に通った事で、「自分も他の人達も、その多くの人達が同じような生活リズムで暮らしているんだなあ」というとても当たり前の事を、あらためて実感する事になった今朝、色んなところでよく言われている考え方が「本当にとてもリアルなものだったんだなあ」という事に身を以て気づきました。
それは、「やりたい人 1万人・やる人 100人・続ける人 1人」という言葉に代表されるような、いわゆる「やり始めるだけで1%、やり続けるだけで0.01%の希少な存在になれる」っていう考え方です。
平日の通勤時間帯に通勤路を走る車は、それこそ掃いて捨てるほどあるわけです。でも、通勤時間帯をずらして通勤する車はほとんどいません。その毎日の現象から推測するに、いわゆる早起きをしてその時間を「自分への投資としての時間の使い方」をしている人も、ほとんどいないというのが見えてきます。もし「自分への投資という時間の使い方」をしている人がたくさんいるのであれば、その人は、無駄に道路が渋滞する事で遅刻や事故のリスクが増えたり自分にストレスがかかるラッシュアワーは基本的には避けるはずです。リスクやストレスが増えるのが目に見えているのにわざわざそんな時間を過ごす事は、「自分への投資という時間の使い方」の考え方とは相反する真逆の考え方でしょうから。
もちろん「自分への投資という時間の使い方」は早起きだけではないので、上に書いたのはほんの一例に過ぎないし他の使い方もたくさんあるでしょう。渋滞時に通勤をする部分だけを切り取って「自分への投資をしていない」と断定できるものでも無いだろうと思います。
だけど、「今の自分にとって必要であり自分が楽しめて更に時間の浪費では無い何か」を、「世間の人のほとんどがしていない早起き」をした時間で「やり始め」て、尚且つ「やり続ける」事ができれば、これは確かに「0.01%の存在になる」ためにはかなり手軽な自己投資である事は間違い無いなあと思うわけです。
そんな、手軽にできる間違いの無いであろう自己投資をするためには、超えなければいけない様々な壁が待ち受けているからこそ、これが出来る人は0.01%になれるんだろうなとも思うわけです。
例えば、「今の自分にとって必要であり」を満たすには、そもそも「今の自分にとって必要な事柄」がわかる必要があります。
その為には、「自分自身を知る」という事が必要ですし、そもそも「自分にとって不都合な事実」についてもしっかり正面から受け止める必要があるわけです。そうするともう、僕からすると、ここだけでもなかなかにハードルが高いなあと思います。
その次には、「更に自分が楽しめる時間の浪費では無い何か」についても、同様に自分自身について深く理解する事でしかそれを知る事はできないのも見えてきます。
そして、「早起きをする」必要があるので、睡眠時間をしっかり確保するためには「早く寝る」も重要な要素になります。
すると、「1日の時間の使い方」および「1週間の計画」なんかも重要になるわけです。
でもって、それを「やり始める」。
その為には、「やる」という決断と行動が当然に無いとできない。
まあでも、それでも何とか、ここまでは、どうにかこうにかできたとしましょう。
だけど、その後、最後に待ち構えているこれが、もう相当に苦手意識があるわけです。
最後に待つのは、それを「やり続ける」。
これが、今までの自分を振り返ると、出来ている事が極端に少ないわけです。だからこその苦手意識。
ここを、どうにかして乗り越えると、その先に繋がるのはわかっているけど、これがあるのでと言うか、これがこれまで「出来てきた・やってきた」という実感が乏しいので、どうしても「続くのかなあ・・・」なんていう不安が先に湧いてきて、その次には「どうせ続かないんだろうから、始めなくても同じじゃないのかな」なんて、自分に対して諦めモードが起動してしまって、結局「やり始めない」。
こんな流れが、僕の中にいつも起きる「よくある思考パターン」でした。
今、“でした”と書いたのは「敢えて」です。
過去形にする事で、「これからは違うんだ」と自分自身に向けて宣言しつつ、noteに書いてしまってワールドワイドウェッブで発信してこの世界に文字として刻んで残してしまう事で、自分に対して縛りをかけようかなと思って書いてしまいました(この後、書き直して修正した内容でUPするかもしれませんが、修正しなければ、今書いているこの括弧書きも記録として残るので、自分の思考の変遷とか、すぐに逃げ出したくなる気持ちとかも、ここに刻まれるわけです)。
こうする事で、自分に対しての「制約と誓約」をかけるわけです。もちろんこれは、『HUNTER×HUNTER』の念能力の考え方からの引用であり、これまでの実体験上でも、この「制約と誓約」によって自分のパフォーマンス向上がはかれるというのはなかなか有効だなあという実感がありますので、時々使ってみています。特に「何かをやろう」という時には、自分自身に向いている考え方だなあと思っています。
どうしても、自分自身に対して自分が「やろうがやるまいが全ては自由だよ」とやるのは、結果的にだらけてしまう事に繋がるのがこれまでだったので、自分自身で自分に対して「制約」をかけて、自分自身と自分の間で「誓約」をする。もちろん、自分の中での「制約と誓約」なのでそこに賭けられているのは「命」では無くて「矜恃」とかなんですけど、ある意味では、自分自身にとっては「命」と同じくらいの重さなのかもしれないなあと思っています(「矜恃」を失って生きていくのはツライだろうなというのは容易に想像がつきますし、自分自身の中の信念に反する事をしなければならないという強制力を自分以外の何かという「外」からかけられるのはツラくて仕方が無かった経験は、どれだけ時間が経過してもなかなか忘れられないですから)。
もちろん、自分と自分の間での約束事なので、「自分と自分の間で折り合いがつけば途中で解約もできる」という、漫画に比べると極めて優しいルールで運用されてはいたりはするんですけど。
そんな感じで、何やら「やり始め」て「やり続ける」を意図している事はたくさんあります。それらを全部「やり続ける」事ができたら、そりゃあそのうち0.01%になるんだろうなとも思えるわけです(もちろん、どこまでが「続いた」なのかは「0.01%になるまで」なんだと思っているのでなかなかに果てしない道のりだなあとも思っているんですが)。
でも、それらの中に、今のところ「早起き」は入ってきていません。
「早起き」について魅力はとても感じているんですけど、寝る時間を早く持ってくる事ができない状態が続いたり、他にも別の事柄があったりで、今のところは「早起き」を自分の中の「制約と誓約」に加える事はできてはいませんが、いつの日か新しい項目を加える事ができるように、今は「早起き」以外の「制約と誓約」で己のパフォーマンスアップを目指しています。(こう書いているのも、「早起き」の阻害要因である諸々を片付けるために色々進めていかなければならないよね?という己への問いかけを含んでいるのは言うまでもなく、自分で自分にプレッシャーをこまかくかけていかないと「やり始める」もままならないのが理解できているんだなあという変な感心を己にしつつ、「逃げんなよ」とも言っているわけです)
もちろん、ここまで書いてきた事は、あくまでも自分自身の目線で見た時の「僕個人のレベル感での話」なので、他の人から見た時に「頑張ってるね」と思われるレベルかどうかは特に考慮されておりません。
そんなわけで、できるだけ優しい眼差しで見守っていただけると幸いです。
あかね
株式会社プロタゴワークス
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