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誰かと何かの仕業なのかもしれないけれど
こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。
「悪いのは自分ではありません。自分以外の“誰か”と“何か”です。そんなかわいそうな私なんです」
“他者の話を聴く”ということを仕事としてやっていると、こんな内容の話に出会う機会が数えきれないほどたくさんあります。
出会う人たちはその誰もが全て別々の人たちなので話の内容が全く同じということはありませんが、話の構造としては全く同じである“こういう話”に出会う機会はとてもたくさんありますし、老若男女問わず様々な人が“こういう話”をしてくれます。
「確かにそう話したくなる気持ちもわかるような気はするなぁ」
そう思いながら聞いている時もたくさんありますが、それでも多くの場合は幾つかの“問い”を投げかけていくことで、話をしてくれている方の中にも“問い”が立ってきている様子が見受けられることがよくあります。
そういう場合に立ってきている“問い”は「自分自身に向ける“問い”」であるということが、その後の話の中で明らかになることがたくさんあります。
「アイツが悪いとずっと思っていたけど、よく考えてみると“自分”の関わり方にも悪いところがあったかもしれないよなぁ」
こうハッキリと語ってくれるケースはそれ程多くはありませんが、それでもこんなニュアンスの話になることはそれなりにあるのも実際のところです。
こういう“内省モード”が起動しはじめるのは、実際に起きた出来事について「自分に変えられること」と「自分には変えられないこと」で見分けはじめ、「自分には変えられないこと」を受け入れて、「自分に変えられること」に取り組み始めるための準備が整ってきたということなのかもしれません。
そうなれば、そこからしていく話の内容は冒頭のようなことを話してくれていた時とは全く別物に変化していくのは当然のことです。
もしかしたら、傍から見れば「全くの別人」に見えてしまうくらいの変化に感じられるかもしれません。
ただ、一方では冒頭のように考え続けているケースというのもそれなりにたくさんあるのも実際のところです。
「悪いのは自分ではありません。自分以外の“誰か”と“何か”です。そんなかわいそうな私なんです」
この場合には、自分自身の考え方や行動について「もしかしたら自分が間違っているのかもしれない」なんて視点を持つことができていない状態である可能性が高いのかもしれません。
だからこそ、「自分は悪くない」とか「悪いのは自分以外の“誰か”や“何か”である」とか「私は被害者である」という考え方を固持し続けてしまいますし、自分自身に対して“問い”を向けることができないのであれば、自分以外の“外側”に対して「絶対に答えも出ないし変えることもできないコト・モノに向けて
“問い”かけを続ける」ということになってしまうのかもしれません。
それは本人の世界観からはどう感じているのかはわかりませんが、客観的には「自分には変えられないこと」を受け入れずに「変えよう」とか「変えたい」と思って「変えられないコト」に対して取り組みを続けている状態になってしまっています。
それはきっと「良いとか悪いとかの話ではない」ということなのかもしれません。
だからこそ、客観的な立場からは究極的にはこんなことしか言えなくなってしまうのかもしれません。
「本人が“それ”で良ければいいのではないでしょうか?何をどうするのかを選ぶのは本人ですし、それによって起きる出来事を引き受けるのは本人にしかできないんですから」
ただ、もしかしたら冒頭のような話をしてくれるからと言って、そんな“重大な選択”をしているつもりは毛頭無いのかもしれません。
と言うよりも、冒頭のように「自分は悪くない」という他責傾向の状態にあるのであれば、「自分自身が“重大な選択”をする」というような「“自分が悪い”という状態が起きるかもしれないような選択と責任を“自分の意志”で引き受ける」なんてことをするのは難しいのかもしれない、と考えるのは当然と言えば当然かもしれません。
だけど、もうちょっと考えてみると「自分は悪くない」とか「選択して、その後に起きることの責任を引き受けたくない」というような言動をとるというのも__というよりももはや“生きる”に纏わる全ての行動に__“選択して決断して行動してその後の責任を引き受ける”というのがセットになっているわけですから、誰がどうやって何を考えてどういう主張をしたところで「選択して決断して行動してその後の責任を引き受ける」ということをしていることこそが「今、この瞬間に“生きている“」ということなのかもしれないよなぁ、なんて思っています。
そんな風に考えてみると、
「だったら、もっと積極的に全部を引き受けつつ、楽しんで“生きる”をした方がいいんだろうな」なんていうシンプルなことを考えています。
あかね
株式会社プロタゴワークス