誰もが一生懸命なだけなんです
こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。
「誰もが“その人なりに”一生懸命に本気で目の前のことに取り組んでいるってことなんだよなぁ」
仕事で“他社・他者のサポート”に関わらせてもらっていると、つくづくこんなことを思います。
それと同時にこんなことも思います。
「ただ、“その人なりに”ってところが他者とすれ違ってしまうから人間関係のトラブルが起きてるっていうのが外側からはハッキリ見えるからそこがとっても悲しいというか切ないというか…そこを何とかできたらいいんだけどなぁ」
こういう何とも言えない思いになることがしょっちゅうです。
もしかしたら「“組織や他者に対して明確な悪意・害意”を持って仕事をしている」という人がこの世の中のどこかには存在しているのかもしれませんが、今までたくさんの人たちの話を聞かせてもらってきた経験から言うと、「“そういう人”はいないんじゃないだろうか?」というのが今のところの見解です。
とは言え、「“組織内(外)の特定の誰か”に対して“好意的ではない”」という人の存在はこれまでにたくさん見聞きしてきました。
でも、そういう“好意的ではない人”がその“特定の相手”に対して明確な悪意・害意を持って仕事をしているかと言えば、やっぱり「そうではないんじゃないだろうか?」と思うんです。
何しろ、「“組織内(外)の特定の誰か”に対して“好意的ではない”」という人の話もこれまでにたくさん聞かせてもらってきましたが、やっぱりそういう人であっても「仕事はちゃんとやる」という考えを持っていたし、ちゃんと仕事をするという行動を“その人なりに”とっている人ばかりでした。
ただ、“その人なりに”というのは結局は「どこまでいっても“その人なりに”であるだけ」であって、だからこそ、組織の中で“人間関係のトラブル”として表出してきてしまいます。
例えば、Aさんの“Aさんなりに”という価値観とBさんの“Bさんなりに”という価値観が「偶然にも」合致していて“同じモノ”について“同じコト”を考えたり行動したりできたりすれば、それはきっと「協働できた」という結果になるはずです。
でも、“Aさんなりに”という価値観と“Bさんなりに”という価値観が全く合致せずに相反するモノだったりした時には、Aさんから見れば“Bさんなりに”というモノが“受け入れ難い唾棄すべきモノ”であり、Bさんから見れば“Aさんなりに”が“Bさん自身を否定してくるモノ”に感じられたりしたとすると、お互いに「アイツは何を言ってるんだ?」とか「なんなんだアイツのあの考えは!?」ということが起きてしまいます。
そうしてお互いに“その人なりに”懸命に考えて行動していることが、傍から見るととてもじゃないけど「協働している」なんて状態ではないですし、本人同士も「アイツが邪魔をしてくる」という認識になるまでにそれほど時間も機会も必要ではないはずです(そして、現に“こういうこと”が組織内で起きている中小企業をたくさん見聞きしています)。
「だったら、一体全体どうしたらいいって言うの?」
ここまで読むとそう聞きたくなるかもしれませんし、実際にこう聞かれたことも何度もあります。
でも、そう聞きたくなった人がいたとしたら逆に聞いてみたいと思っていますし、実際に聞き返したこともあったかもしれません。
「どうしたらいいか、本当はわかってるんじゃないですか?」って。
なぜなら、ここまでの話の構造は至って“シンプルなモノ”だからです。
問題になっているのは「“人間関係のトラブル”が起きていること」ではありません。
それは単に「“問題”が発生しているから起きているコト」なだけであって、問題は“その人なりに”という仕事のやり方がまかり通っていることです。
もちろん“仕事”には様々な“仕事”あるので、一概に「“その人なりに”が全て悪い」という話ではありません。
とは言え、「“その人なりに”で全てOK」という話でもありません。
そこには、“その組織とその仕事なりの線引き”が必ず存在しているはずですし、もしも“形を伴った状態のモノ”が存在していないとしても“どこか”や“誰か”の内側には確実に「これが線引きです」というモノが存在しているはずです。
なぜなら、「全て“その人なりに”でOKだよ」という仕事があったとしたら“基準”も“規格”も存在していないモノが次から次へと供給されてきても、それに対価を払ってくれる顧客が「全て“その人なりに”ってやつでOKです!」となんでもかんでも購入してくれる状態が存在していなければならないからです。
もちろん“そんな状態”はこの世界には存在していません。
つまり、どんな組織や仕事であっても必ず“その組織とその仕事なりの線引き”というモノが“どこか”や“誰か”の内側に存在しています。
にもかかわらず、その組織やその仕事の中で“その人なりには”を放置してしまっているからこそ、誰かと誰かの“その人なりには”が衝突することで“人間関係のトラブル”が発生してしまっています。
そして、その衝突して“人間関係のトラブル”の渦中にいる人であっても、その周囲にいる人達であっても、誰もがみんな“その人なりには”一生懸命に仕事をしているからこそ、そこで生まれる徒労感や切なさや無力感は途轍もなく大きなモノになってそこで働く人たちを飲み込んでしまうのかもしれません。
だから、やっぱり“組織の三要件”が絶対に必要だし重要なんだよなぁ、ってつくづく感じます。
だって、どんな人も“その人なりに”一生懸命に仕事をしているんだから。
だから、どうせ「一生懸命仕事をする」のであれば誰もが報われて然るべきだと思うんです。
そのためには、“その人なりに”が許容されるべき範囲と“その人なりに”が許されない範囲が明確にされたうえで、これまで通りみんなが一生懸命に仕事をすることで“そうなる”んじゃないかと考えています。
もちろん、簡単ではないですし途轍もなく“難しいコト”だとは思っていますが、構造自体はとても“シンプル”だと考えています。
そして“シンプル”だからこそ、その気になって一生懸命に取り組めば、今がどんな状態であろうとも必ず“できるコト”だとも思っています。
なにしろ、誰もが「一生懸命に仕事をしている」のは本当のことなんですから。
あかね
株式会社プロタゴワークス
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