比べるんならこっちでしょやっぱり
こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。
「自分を他人と比べてもあまり意味が無いので、比べるなら“以前の自分”と“今の自分”を比べてみるのをおススメします」
こんな話をする機会が時々あります。
“他社・他者のサポート”を仕事にしていると、そこで関わらせてもらう人とする話は多かれ少なかれ、目の前にいる人の“キャリアに関わる話”に及びます。
そして“キャリアに関わる話”を聴かせてもらっていると多くの人が“他者と比較した状態の自分について語る”ということをします。
“比較するモノ”については、その人やその時々によっても様々ですが、“これまでの経験”や“これまでの仕事の成果”や“有している能力”や“立ち居振る舞いの仕方”や“身につけている習慣”や“他者からの人気”や“会社からどう評価されているか”などなど他にもまだまだたくさんある気はしますが、とにかく他者と自分を常に比較して“その人自身”の中で序列をつけて話をしてくれます。
それを語ってくれている“その人自身”にとっては、そうやって他者と比較したうえでの序列が重要だってことなのかもしれません。
ただ、僕の観測範囲内の話ですが“外部の第三者”として話を聴かせてもらっている中では、「自分は誰かと比べて、かくかくしかじかこんな風に優れているんですよ」という自慢話をしてくれる人にはあまり遭遇した経験がありません。
こんな風に“他者と自分を比較した話”の多くの内容は「だから、自分は比較対象の他者よりも劣位にいるのだ」という文脈で語られているように感じています。
「自分は他者よりも劣っている」という話を聴かせてもらうたびに、「それはなかなかキツイだろうな」なんてことを思います。
そう思うのは「他者よりも劣っている」ということに対してではありません。
そんなことではなくて、「自分と他者を比較する」ということを日常的にずっとし続けているであろうことにです。
なぜなら、「自分が他者よりも劣っている」なんてことはとても冷静に考えてみれば“当たり前”の話だからです。
それが“自分自身”ではなくて“自分よりも優れているとみなした人”の視点で見た場合であっても、その人よりも“優れている人”というのは必ずこの世界に存在しています。それも、かなりの多数存在しています。
そしてその“自分よりも優れている人よりも優れているとみなした人”の視点で見た場合にも、その人よりも“優れている人”は必ずこの世界に存在しています。
そうやって“比較対象の範囲”を広げていけば必ず「上には上がいる」ということが明らかになりますし、もっと言えば「どのタイミングで比較するのか?」によっても“優れているとみなされる人”は変わっていきます。
そしてもちろん、「どんなポイントで比較するのか?」によっても“優れているとみなされる人”は変わっていきます。
そうやって“他者と自分を比較する”という行為について考えてみると、冒頭のようなことに気が付きます。
「自分を他人と比べてもあまり意味が無いのでは?」と。
そしてこんなことにも気が付きます。
「どうせ比べるなら“以前の自分”と“今の自分”を比べてみると“以前と今の自分の間にある差”が見えるかも」ということに。
自分を“他者”と比較すれば、いつかどこかで必ず「劣っている」とみなさなければならなくなります。
そんな風にわざわざ自ら“自尊心を傷つける行為”をする必要は一体どこにあるんでしょうか?
それをすれば「ああ、やっぱり自分は他者よりも劣っているのか…」と、比較するまでもなく端からわかりきっていた結論に落ち着くことになりますし、そもそも“他者と自分を比較する”という行為にはそういう結末が待っていることが明らかなので“落胆すること”がその人自身の目的になってしまっているからそうするのかもしれません。
そんな風に“辿り着く答え”がわかりきっていて、そのわかりきっているモノが「自分自身のパフォーマンスを低下させる」ということもわかりきっているのであれば、そんな“他者と比較する”なんていう行為には“役に立つこと”という要素は見当たらないんじゃないかと思っています。
だから、冒頭のような話をすることがあります。
「自分を他人と比べてもあまり意味が無いので、比べるなら“以前の自分”と“今の自分”を比べてみるのをおススメします」
そうやって“いつかの自分”と“今の自分”を比較することで、自分が“目指すトコロ”にどのくらい近づいているのか?あとどれくらい遠いのか?そのギャップを埋めるためにはどんな取り組みがどの程度必要なのか?なんてことが色々見えてくるはずです。
“目指すトコロ”に辿り着くための取り組みを考えて実践するためには、“他者と自分を比較する”なんてことをして落ち込んでパフォーマンスを低下させることなんて何の役にも立ちません。
そんなことよりも、“以前と今の自分の比較”をして冷静に現状を分析して的確に行動をして継続することが何よりも“役に立つこと”なんじゃないかと考えています。
そしたら、どれくらいかわかりませんが何らかの変化は必ず見て取れるはずです。それが大きくても小さくても、その現実を真正面からしっかり見てあげて、自分で自分自身を正しく承認してあげられると、それは自分自身にとって何よりも“役に立つこと”になるだろうと思っています。
“あの頃の自分”と比べたら、随分と色んなことができるようになったし、まだ全然辿り着いてないのは間違いないけれども、だいぶ“目指すトコロ”に近づいてきたのも、誰にも否定できない完全に間違いのない現実だよなぁ。もう少しだけ頑張ってみっかな。
あかね
株式会社プロタゴワークス
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