揃っちまったらどうしましょう
こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。
「自分は正しいんだ。あの人もこの人もそう言ってるし、他のみんなもそう言ってるから」
色んな人が集まって成り立っている組織の中で“人間関係トラブル”が起きると、その渦中にいる人がこんな話をする場面に遭遇することがあります。
これまで様々な組織に関わらせてもらってきましたが、思い返してみるとそれらのほとんどで大なり小なり“人間関係トラブル”は発生していたように記憶していますが、その“トラブり度合”が高ければ高いほど、冒頭のような話をしている人に遭遇する度合も高かったような気がしています。
とは言え、何らかのデータを計測しているわけではなく、あくまでも「思い返してみるとそうかもしれない」というような個人の感覚的な話なので世間一般でも同じように観測できるコトなのかどうかはわかりませんが、色んな方と“この話”をすると案外と「言われてみれば確かに」なんて反応が返ってくることが多かったと感じています。
冒頭のような話をしてくれる“人間関係トラブル”の渦中にいる人は、語ってくれる言葉の通り「自分は正しい」ということを証明するために“他者の言葉”として「あなたは正しい」と認定してもらった事例を根拠として挙げるという行動に共通点があります。
そして往々にして、“「あなたは正しい」と認定してもらった他者”はその組織内での“権威を持つと見なされている人”であるというのも共通点だったりします。
それぞれのケースで登場する人たちは当然全く別の人なのに、なぜだかその行動パターンにはみんな共通点があるというのは今考えてみても「不思議だなぁ」と思うんですが、それこそ「判で押したように」みんな同じ類型なのは「面白いなぁ」とも思います。
そんな“同じ類型”の複数のケースをよくよく観察してみると、“人間関係トラブル”の渦中にいて尚且つ冒頭のような言動をする人には、幾つかの“特徴”が共通しているのが浮かび上がってきます。
それらの“特徴”は、個別に一つずつ見ていけばその中のどれかの“特徴”を備えていることは当然と言えば当然なので、別に特筆するようなことでもないんじゃないかと考えています。
でも、組織の中で“人間関係トラブル”の渦中にいて「自分は正しいんだ。あの人もこの人もそう言ってるし、他のみんなもそう言ってるから」と考え、且つ、そういう言動をする人は、それらの幾つかの“特徴”と言えるモノを全て備えている人だった、というのが僕の個人的な観測範囲での見解です。
そこから見えてきたのは、「それらの幾つかの“特徴”に端を発すると考えられる行動をとっているかどうか」というのが、「同じ目的を持った組織で協働するメンバーとして適切かどうか」を判断する際の“選考基準”として機能するんじゃないだろうか、ということです。
とは言え、僕の観測範囲内での出来事としてはこんな側面もあるのは事実です。
それは、
幾つかの“特徴”を全て備えているのに“人間関係トラブル”の渦中にいることがなく、且つ、「自分は正しいんだ。あの人もこの人もそう言ってるし、他のみんなもそう言ってるから」という言動をとらない人は存在していないのか?
これについては検証をしていない、と言うよりも「できていない」というのが正直なところです。
あくまでも、
“人間関係トラブル”の渦中にいて、且つ、「自分は正しいんだ。あの人もこの人もそう言ってるし、他のみんなもそう言ってるから」というコトが起きた後で、それらの人たちに共通する幾つかの“特徴”があるようだ、ということが見えてきた。
という、“起きた出来事”から見えてきた結果論のようなモノなので、「必ず例外なく“そういうこと”である」と断言できるようなことでもないかもしれないし、もしかしたら観測できていないけれども「たくさんの例外は存在している」のかもしれません。
そんな保留するべき部分がたくさんあるので、まだまだ“自分の中でだけの仮説”として保留しておこうと思っています。
それと同時に、見えてきた“幾つかの特徴”の中で、「自分自身に該当しているモノはどれか?」とか「該当している“特徴”が行動に表れているコトはどんなことか?」とか「全ての“特徴”が自分自身の行動になってはいないか?」というように、まずは全てを自分自身に照らし合わせて確認をしています。
もちろん、ウチの仲間にはこれらの“幾つかの特徴”を共有してチェックとフィードバックをお願いしていますが、「全部該当しています」と言われる日が来ることの無いように、今後も己を律していけるように。
そんな願いと、「己への戒め」という思いを込めて“こんな話”を書き記しておこうと思います。
あかね
株式会社プロタゴワークス
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