同じゲームのはずなのに
こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。
「向いている方角は同じだけど、見ている場所が違うのかもしれないなぁ」
そんなことを思うタイミングが時々あります。
“他社のサポート”という仕事柄、経営者や社員さん達の話を聴かせてもらうことがたくさんあるわけですが、同じ組織で仕事をしている人たちの話をそれぞれ分析してみると冒頭のように思います。
組織のどの階層にいて日々になっている役割がどんなモノかによって視座も視野も変わってきてしまうのは仕方のないことだとは思いますし、“今の自分”よりも高い視座に身を置いた時に「どんな視野が広がっているのか?」については、どうしたって“そうなる”までは体感することができないわけですから「そうなってみなくちゃわからない」のも仕方のないことだと思います。
ただ、「“今の自分”の視座からはこういう視野だからこんな視点でモノを考えているんだ」ということについてはそれぞれが違う視座にいる状態だとしても共有することは可能なはずです。
もちろん“他者の視座・視野・視点”をリアルに体感することはできないので「本当の意味での“共有”はできない」とも言えるのかもしれません。
でも、「自分からはこう見えているからこんな風に考えている」ということについて相互に語ることで、「なるほど。この人に見えているのはここまでだからこう考えるんだな」ということは相互に共有できるのは間違いありません。
例えば、みんなで同じRPGゲームをやっているとしても、そのゲーム内の世界での“レベルの違い”によってゲームの進み具合が違ってくるし出てくる敵も、遭遇するイベントも、手に入るアイテムも、どの敵が強敵なのかも、「どこまで進んでいてどのレベルか」によって何もかもが違ってくるなんてことがあるわけですし、“自分が既に経験したレベルの話”であれば「ああ、あの辺りのことか」なんてことは容易にわかるわけです。
もちろん、“仕事”はRPGゲームのようにシンプルにはできていませんがゲームで言うところの“レベルの違い”はアナロジーとして使ってみると「“仕事”における視座の違い」を理解するのに役に立つような気がしています。
そうやって考えてみると、「あなたは今どのレベルでどんなイベントをやっててどんな敵に苦戦しているの?」ということを、“仕事”の中における様々な視座にいる人どうして“視野”や“視点”についての話を「今の自分が携わっている個別具体的な業務の話」として語り共有するということを継続してやっていけたとしたら、“向いている方角”だけではなくて、“見ている場所”も、そして“目指しているところ”も「みんなで同じモノを見る」に近づけていけるんじゃないかな、なんて考えています。
こんな話をすると、
「そういうことも必要だとは思うけどその時間をどうやってとるかが問題だ」
なんて話になることが多いんですが、
もしも、
「向いている方角は同じだけど、見ている場所が違う」
ということが起きているんだとしたら、
「そのままの状態でそのままのスピードで進んでいく」のと「一旦、速度を緩めて全体で見る場所を修正しながら進む」のとではどっちの方が“目指している場所”に速く辿りつくことができるのか?
なんてことについてじっくり考えてみるのが、今後は結構重要になってくるんじゃないだろうか。
そんなことを考えています。
あかね
株式会社プロタゴワークス
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?