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ずっと真っすぐ来たけれど

こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。

ウチの会社の事務所は、とても小さくて狭いんです。

正確にはわかりませんが、恐らく8畳くらいのほぼ正方形のスペースです。その三方の壁際に本棚と書類棚と作業台として使っているPCデスクが置いてあり、一方には冷蔵庫とハンガー掛けと懸垂台が置いてあります。壁際はそんな風に隙間なく物が置いてあり、部屋の中央には机3つで構成した島があり、イスが4つあります。このスペースにこれだけの物を置くと、机の島の周りに人が歩ける程度の通路的なスペースができて、終了です。
幸いな事に、水場やトイレは共用のモノがあるので、部屋のスペースにこれだけの物を置くことが可能です。

そもそも、この部屋を借りた当初は、この事務所に「お客さん」が来る事は全く想定していませんでしたし、事務所を借りる事すらも想定しておらず、しばらくの間はコワーキングスペースで仕事をしていた過去があります。仕事内容的にも、自分達の拠点に「お客さん」に来てもらう必要性があまり想定できていなかったというのもありました。

そんな感じで借りた部屋なので、今でも「お客さん」を迎え入れる仕様にはなっていませんし、そもそも、これまでにこの事務所に来てくれた方も、数える程しかいませんでした。
いつも「狭くて申し訳ない」とは思いつつ、今のところ事務所の広さ(狭さ?)は、僕たちの仕事の内容にはほぼ関係してこないので、しばらくの間はこのままでいいかなと思っています。

そんな、極狭なウチの事務所に、とある経営者の方が遊びに来てくれました。

僕はお会いするのが初めてだったのでやや緊張しながらの対面だったんですが、そんな緊張も最初の数秒だけで、その後は時間を忘れるくらい楽しく話をさせていただきました。

そんな楽しい話の中で、とても印象的だった話があります。

「僕は、転職推進派なんですけど、一つの勤め先でずっと勤めるのが“善い”って思ってる若い人が多いなと感じるんです。彼らがそう思ってしまうのは、親とか学校とかがそう教えるからなんですかねえ」

これを聞いて、僕は単純に「この人、凄いな」と感じました。

自身が経営者として会社を経営しているにも関わらず、若い人が「転職をしたい」という気持ちに賛同できるっていう器の大きさがただただ凄いなと。

ウチの会社は、組織開発や人材開発をやっているうえに従業員はまだいないのもあって、「転職推進派」であるのは当然と言えば当然です。
まずは、「その個人」が働きやすくなって最大のパフォーマンスを発揮できる状態が重要だと考えているので、もし働いている会社とその人が合わないのであれば転職をするのは善い選択だと考えています。
でも、その経営者の方は、ウチとは全く別分野の事業をたくさんの従業員を雇用してやっているんです。その状況に身を置きながら、「転職推進派」として会社の経営に取り組む事ができて、その話を若い人にもできるというのは、本当に凄いなと思ったんです。

その時にしてくれた話にはこんな続きもありました。

「人は変わっていくので、ずっと同じなままでいる方が難しいと思うんですよね」という内容です。

「人は変わっていく」という考え方は、僕達もずっと持ち続けている考え方です。

「ついさっき」と「今」では、人の考え方が全く別の考え方になっていたとしても、そこには何の不思議も矛盾も無くて、それはとても当たり前の事なんじゃないか。
僕たちは、そんな風に考えて、この仕事を通じて多くの人達に関わっています。

傍から見て、「変わらない」と見えたとしても、それは「変わらない」んじゃなくて、「変わっていく周囲の状況」に合わせて「変わり続けてきた」からこそ、「変わらないように見える」だけであって、本当の意味で「変わらない」としたら、恐らくそれはもう存続していないはずだと考えているんです。

「変わり続ける」からこそ、「変わらないように見える」という事が起きていたり、「明らかに変わった」という事が起きていたりするはずなのに、自他共に認める「変わらない」という事に大きな価値があるとされているモノの見方や価値観が、根強くあり、その「認識の固定化」に気付かないまま縛られる事によって、その本人が「生きづらさ」や「苦しさ」を感じる事が起きているのを、様々な組織や人を通じてたくさん見聞きしてきました。

だけど、その「生きづらさ」や「苦しさ」は、「変わる」という事が当たり前であり「善くない事」ではなくて、むしろ、誰にとっても当然の「善い事」である。「変わり続ける事」こそが、「生きる」という事そのものである。だからこそ、「変わり続ける事」をしっかり受け止めて、本当の意味で受け入れる事でしか、自分の人生を主人公として生きていく事はできないんじゃないだろうか。それが、その人自身にとっての「幸せ」を考えるって事につながるんじゃないだろうか。

僕たちは、ずっとこんな事を考えてこれまでやってきたわけなんですが、そんな僕たちと同じようなモノの見方をしている人が、実はこんなに身近にいたんじゃないか。そう思ったんです。

そう思って、僕はとても嬉しくなりました。これはもちろん僕の一方的な「嬉しさ」なので、その方がどう感じていたのかは僕には正確にはわかりませんが。
だからこそ、こうやってnoteという公の媒体を使って、この僕の一方的かもしれない「嬉しさ」を記録しておこうと思ってこんな事を書いています。

「一途な想いは素晴らしい」
これは、一面、本当の事だと思います。

だけど、あくまでも「一面」なんじゃないかなと思うんです。

一途な想いが素晴らしいのは、その「一途さ」が、「自分の変化」を客観的に捉える事ができていて、尚且つ、その「自分の変化」に合わせた形で「修正し続けた」結果として「その人」が自分自身で考えてたどり着いた「幸せな姿」だという部分が素晴らしいんだと思うんです。

だけど、その「辿り着いた幸せな姿」という“結果のように見えるモノ”を見た時に、それの“原因に見えるモノ”が「一途な想い」とであろうという「(ちょっと勘違いの入った)因果」を切り抜いてに見てしまった素晴らしさを受け取ってしまうと、「“全く何一つ変化しないままの”一途さが大事」なんだという勘違いが横行してしまうのかもしれないなあと思うんです。

「変化」は、この世界の大前提なんだろうなと思うんです。

例え、目に見えている部分が「変わらない」ように見えたとしても、目に見えない極小の世界では耐えず小さな生き物達が、そこかしこと果てしなく蠢いているわけです。それは、菌だろうが微生物だろうが細胞だろうがウイルスだろうが、全て絶え間なく変化しているのは、実際には誰でも知っている話です。
だけど、そのサイズ感を、“間違って”なのか“敢えて”なのか“つい忘れてしまって”なのかはわからないけど、「自分の目に見えるサイズ感としてだけ受け取って扱ってしまう」という、本来は「全体最適」で考えるべきところを、いわゆる「部分最適」の話にすり替えて考えてしまっているというのが、この世界に生きている自分達が「つい」していまっている事なのかもしれません。

「世界は絶えず変化し続けている。だから、自分も変化し続けていかないと、生き残ってはいけないんだ」

自戒を込めて、ゆめゆめ忘れる事の無いように。



てことは、「事務所が狭い」なんて事を言ってないで、いつでもお客さんを迎えられるような事務所作りをしていく必要もあるってことだよな?

そんな声が、頭の中に響いてきはじめました。



あかね

株式会社プロタゴワークス

https://www.protagoworks.com/


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