泣くほどイヤなこともあるけれど
こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。
「責任を取りたくないんです」
以前、ウチの仲間が参加したイベントで、そう言って泣き始めた学生に出会ったことがあるそうです。
そのイベントは、経営者と学生とで、ざっくばらんに“仕事”についての様々な話をして交流を深めるという趣旨のイベントだったそうです。
そのイベントの中で、参加した学生さん達がそれぞれに思っている“就活への不安”に焦点が当たったタイミングがあったようで、その時に冒頭の話が出てきたそうです。
あくまでも又聞きの話なので、詳細な話の内容はよく覚えていませんが、「責任を取りたくない」というフレーズとそれを泣きながら話してくれたという本音の中の本音を大勢の前で吐露してくれたという学生さんの存在が、僕にとってはなかなか衝撃的だったのでこの部分だけ強烈に覚えています。
そんな印象的なこの話を、思い出す度に考えることがあります。
「“責任をとりたくない”という気持ちや価値観が自分の中に存在しているということを真正面から受け止めることができているその学生さんは、自分自身のことをよく理解できているってことであり、そこが自分自身にとって一番大事なことなんだとすれば、これから先の人生の選択はきっとその学生さん自身にとっては後悔の無いモノになるのかもしれないよなぁ」なんて。
僕がこれまでに数えきれない程の人たちの話を聴かせてもらってきた中でも「自分は、責任をとりたくないんです」というあけすけな本音をそのままダイレクトに語ってくれた人には会ったことがありません。
話の内容から「なるほど。色々話してくれたけど結局は“責任をとりたくない”ってことなんだなぁ」と話を聴かせてもらっているこちら側としてそう理解するしかない場合というのは幾つもありましたが、ダイレクトにどストレートに「責任をとりたくない」ということを自分自身で受け入れることができている人には出会ったことがありませんでした。
この学生さんのように、「自分自身が“責任をとりたくない”と考えている人間である」なんてことを誤魔化さずに正面から認識して、それを他者に対しても伝えることができるというのは、なんと言うか「自分の気持ちに対してとても素直だってことなのかもしれない」と感じます。
それが“よいこと”なのか“よくないこと”なのかは僕にはよくわかりませんが、すくなくとも「自分はそういう人間である」ということを下手なオブラートにくるんだりしないところについては好感すら覚えます。
そして、この学生さんの話を思い出す度にこんなことを考えます。
「自分自身は、“責任”についてどう考えているのか?」と。
そうやってあらためて考えてみることで、「責任をとるなんてことをしたいかどうかと考えてみると“したい”とは言い難いよなぁ」ということを考えます。
ここだけ見れば冒頭の話をしてくれた学生さんと大した違いはありません。
でも、それと同時に、
「とは言え、今の仕事で“なにか”があれば自分がす全ての責任を引き受けるしかないし、その気構えでやらない限りは今みたいに“自由”にやることはできないからなぁ」
なんてことも考えます。
ということは、“自分の気持ち”として「どうしたいのか」ということよりも「そうすることでしか手に入れられないモノがあるから、それを手に入れるために仕方なくそうしている」ってだけなんだなぁ、と自分自身についての理解がまた少しだけ進むような気がしています。
またあの学生さんの話を思い出すタイミングがあったら、その時の自分自身がどんなことを考えるのかを楽しみにしていようと思っています。
あかね
株式会社プロタゴワークス
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