関係あろうがなかろうが
こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。
「一見すると関係ないように聞こえる話だけど、実はとっても関係がある話ってありますよね」
そんな話を仲間とよくすることがあります。
ただこの“関係なさそうだけど実はとても関係している話”というのが、なかなか一見して“そうなっている”というのがわかりづらいからなのか、「その話は今関係ないでしょ」と言われたり思われたりすることがよくあります。
そういう時によく考えるんですが、「関係ある」とか「関係ない」という部分で使う“関係”というのが“何”を指していて“どこまで”の範囲なのか、がズレているんだろうなということです。
そしてそのズレを生んでいるのが“たとえ話”などのアナロジーの存在なのかもしれません。
アナロジーを駆使して話をしていると、アナロジーを用いるよりも前に話していた“話の本筋”の際には一度も出てこなかったような固有名詞を使ったり状況説明をしたりすることになるわけで、「これらはアナロジーである」という共通認識が無ければ物理的に聞こえてくるのは紛れもなく「関係ない話」になるのは当然です。
例えば、他社の組織開発で関わらせてもらう際に、組織が抱える問題について話す時には(その組織のメンバーがどんな人かにもよりますが)“野球”などのチームスポーツを例に出して話をすることがあります。「センターとライトとセカンドの選手の間に落ちるポテンヒットが生まれないように」なんて具合に。でも、この“野球の話”の部分だけを切り抜いて聞いてみればその瞬間は間違いなく“野球の話”をしているだけであって“会社組織の問題”についての話はしていないわけです。
そこについて「何を本題と関係ない話をしているんだ」と言われるわけですが、アナロジーを用いて話をしている側としては「いや、本題と関係がある話をしていただけなんですけど」となってしまうわけです。
そんな“関係”というのが“何”を指していて“どこまで”の範囲を指しているのかについて、“関係ある側”と“関係ない側”との間に溝があることがわかったとしたら、その溝に橋を架けるためにも“関係”が“何”で“どこまで”だと考えているのか、なんてことについてお互いにたくさん語ってたくさん聴いてお互いの話の内容を理解しようと努める必要があるはずです。
これはどちらか一方だけが努めたところで橋を架けることは難しいかもしれません。
何しろ溝の“こっち側”と“あっち側”にいるわけですから、その溝を渡れるように橋を架けるのであれば両方の岸からお互いに橋を架けていってそれが交わるタイミングで双方に「なるほど」が生まれるんじゃないかと思っています。
そうして初めて“関係”が“ある”とか“ない”とかというようりも、どうしてそういうモノが必要で、なぜにそれを不要だと考えていたのかがわかることによって、お互いの間を行き来できるようになって相互理解が深まることになるはずです。
逆に言えば、その架橋ができなければいつまで経って「関係があるのかないのか」という話をずっとし続けることになるのか、それとも決別をしなければならないのか、なんてことにもなりかねません。
できることなら、双方の間に溝があることがわかった段階で「どこからだったらこんな風にすれば橋が架かるかもしれない」なんてイメージをしながら架橋に取り組んでみると今までとは違った関係性を築くことができるようになるのかもしれません。
そうやって色んな溝に架橋できたら今よりももっと行動範囲が広がるのかもしれません。
なんて“溝に橋を架ける”アナロジーで考えてみましたが果たして「関係ある話」になったのでしょうか。なってたらいいなと思いつつ。
あかね
株式会社プロタゴワークス
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