見えない物を見ようとして覗き込むのは何ですか?
こんにちは。
株式会社プロタゴワークスあかねです。
この週末、バッテリーのあがった車に、自分の車のバッテリーを繋いで電気を分ける作業を、本当に久しぶりにやりました。
「バッテリーがあがっちゃって、ちょっと繋いで欲しいんだけど」
そんな事を、ゴロゴロしている真っ最中に頼まれました。
休みの日に僕が家にいるという事=ただゴロゴロしているだけであるというのは、僕の周囲ではよく知られた事なので、休日の頼まれごとは基本的に引き受けるという姿勢でいます。
なので、とても気軽な感じで「わかりましたー」なんて安請け合いをしたんです。
だけど、あまりに久しぶりの作業だったので、実は家の中から車が置いてある駐車場まで歩いて行く間は(と言っても10m程度ですが)、まあまあの不安感を伴っていました。
なんなら、軽く10年以上はこの作業をしていないような気がします。
そもそも、バッテリーのあがった車とあがっていない車のバッテリー同士をケーブルで繋いでエンジンをかけるなんていう作業を、生涯の中でしないままドライバー人生を終える人もいるんじゃないだろうか?なんて事を考えつつ、自分はこの作業をするのが人生で何度目なんだろうかとか、バッテリーってどうやって繋いだんだっけなあ、なんていう覚えていない記憶を思い出そうとしながら移動したら、あっという間に車の前です。
しかし、車の位置関係が悪い。今の位置関係のままではケーブルは繋ぐことができない状況になっている。イメージしてもらいやすく表現するとしたら、車庫の入り口から車を頭から入れ、壁が正面に来るように駐車した状態でバッテリーがあがっている相手の車がある。それに近づく為にその車の最後部側に僕の車のボンネットがくるように車を止める。もしこれで手持ちのケーブルの長さが不足していれば、相手の車のギアをニュートラルに入れた状態で、前から押さないとケーブルつなげないなあと思ったわけです。
幸いな事に、バッテリー同士を繋ぐケーブル自体は家にあったし、長さを確かめたらギリギリ届く長さでホットしました。
で、まずは自分の車のボンネットを開けます。実は、この作業自体がかなり久しぶりです。とりあえず、相手に不安感を与えないように「久しぶり感」を一切醸し出さないように振る舞います。
できる限り自然に動くことを心がけて。
ボンネットを開けると、なぜかバッテリーが見当たらないので一瞬焦りました。が、どう考えても「この場所にバッテリーがあるはず」という部分を覆うようなカバーのような物があり、それをどかすと、予想通りバッテリーが発見されました。電気に関係する物だから、確か+と-があったはずだと思いつつ、あまりキョロキョロ探すようなそぶりをすると相手に対して不安を与えることに繋がりかねないので、できる限り何かを探しているのが悟られないような極めて自然な動きと目線の移動だと短時間過ぎて+と-はいまひとつわかりませんだした。
だけど、ケーブルの色が「赤」と「黒」の二色だったし、バッテリーに使われている色も「赤」と「黒」の二色だったので、恐らくそれが対比する部分だろうと検討がついたので、いったんそこで安心が生まれて作業が続けられました。
そして、相手の車のボンネットを開け、バッテリーを見つけ出して、適切だと思われる箇所にケーブルを繋ぎます。
そして、最終的に、まずバッテリーが健康な僕の車のエンジンをかけ、次にバッテリーがあがっている相手の車のエンジンをかける。
そうすると、記憶にあった通り、というか、イメージ通りに「エンジンがかかる」という反応が返ってきました。
その後、しばらくしてケーブル等も全て外した状態で、相手の車のエンジンがかかるのを確認して、作業は一旦終了です。
作業が終わり、バッテリーがあがった経緯について説明してくれたのでを聞いていると、「バッテリーあがりの原因は、車の窓を開けっぱなしにしてしまったからだと思う」との事。
で、これはもちろん、そのままその通りだと思うんです。特に検証する必要の無さそうな理由だし、事実、車の窓は昨晩から全開になっていた模様で、エンジンがかかった事でやっと閉める事ができていました。夜中に何かとか誰かが侵入してたりしなければ良いなあなんて思いつつ、とりあえずそういう話は出てこなかったので大丈夫なんだと思ってはいるんですが、どうなんでしょうか。
それはともかく、今日の作業として僕がやったのは、「基本的に、免許を取得して日常的に車を運転している人であれば、誰でもが出来るはずとされている事」だと認識しています。
だけど、これに「もしかしたらそうでもないのかもしれないぞ」という疑問符が付いてくるのかもしれないなあと思ったわけです。
例えば、この一件が起きた時、その当事者の人は当初、この一件の解消をお願いする為に、僕では無い人に依頼をしたそうです。でも、運悪くその依頼を受けた側の人が、日中からバーベキューの宴を開催してお酒を飲んでしまっていたらしく、僕のところに声がかかったらしいのです。
ここから考えると、「誰でも出来る作業である」と考えているのは、その作業を過去にやった事がある自分だから思える事なんじゃ無いかなあというのが一つ。
加えて、今日のこの作業をしていた時に思い出したのが、遙か10年以上前の大昔、会社から貸与されて乗っていた当時のプリウスと、バッテリーのあがったプロボックスか何かの営業車を今日みたいにケーブルで繋いでバッテリーあがりに対処した記憶がよみがえってきました。その時、プリウスのバッテリーが通常の車の物と全然形状が違って、どこからどうやってケーブルを繋ぐのかをまあまあ手こずったような記憶も一緒によみがえってきました。
ここから考えると、10年以上前とはうってかわって「ハイブリッド車」や「電気自動車」が当たり前に走っているこの時代には、いわゆるバッテリーがあがったから他の車とケーブルを繋いで云々なんて事を素人がやるような時代ではないんじゃないのか?と言うのが一つ。
僕が思いついたこの2点が「本当にそうなのか?」というのは、今日の時点では検証のしようがありませんでしたし、今後それを追求していこうとは思ってはいないので、これを疑問に思うのは今日が最初で最後なのかもしれません。
そんな経験をして、あらためて考えたんです。
この「バッテリーあがりへの対処」ももちろんそうでしたけど、これと同じような事が、この世界には至る所にゴロゴロしているんだろうなと思うんです。
「自分にとってはあまりにも当たり前過ぎて深く考える事すらした事が無かったけど何となくでやっても良い結果を得られるような事柄」が、実は、「誰かにとっては全くの未知の事で強い不安と予測不能な未来が待ち受けている感じがして希望を持てないような事柄」というのが、めちゃくちゃにたくさんあるんだろうなという事を。
そして、この関係性にある事柄を、自分と誰かに当てはめて考える機会に遭遇しないまま、「自分にとっての当たり前」が「世の中の誰にとっても当たり前」だと思い違いをしたまま過ごしてしまう事が、もちろん僕も含めた誰にでも起きているんだろうなと思うと、そういう食い違いが、とても「もったいないなあ」と感じてしまって、それが何とかなればこの社会は、今よりももう少しだけ誰にとっても過ごしやすくなるんだろうなと思ったりするんです。
あがってしまったバッテリーに、ケーブルを繋いで、文字通り“協力”する事で、さっきまでウンともスンとも言わなかった車のエンジンが、元気にかかるようになる。
そんな、とても具体的で物理的な現象を目の前で見ると、社会の中の人の繋がりも、このケーブルみたいに繋げれば良いのにとか、物理的に繋がるケーブルは無いにしても、せめてイメージだけでも「ケーブル的な何か」が繋がる事を誰もが想起できるようになると良いのかなあと思ったりしたんです。
それこそ、「赤いリンゴ」と聞いて誰もが想起する「赤いリンゴ」のイメージのような「クオリア」としての「人と人の間のケーブル」みたいなモノができないもんでしょうかね。
そんな事を考えたりすると、この社会の中の可能性を広げるモノは、最近色んなとこで言われているように、これからの時代は「科学」から「哲学」にシフトしていくんだろうし、「哲学」に最大の可能性があるのかもしれないと思えてくるんです。
もちろん、ここで言う「哲学」は、「哲学的に考える」という意味であって、「哲学」という学問について「何を知っているのか」という話では無いんだろうとは思っていますし、僕自身が哲学という学問の門外漢である自覚はあるので、僕が「哲学」という言葉を使う時には、当然ながら「哲学的に考える」という意味として使っています。
そうなると、今日の最後は、こういう締めになってしまうのかもしれません。
みんなで広げよう「哲学的に考えるの輪」。
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あかね
株式会社プロタゴワークス
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