ディ⚪︎ニー好きないじめっ子に対する不快感の正体とは?【感動ポルノ】【24時間テレビ】

筆者はドラマを楽しめない。アスペルガー的なものなのかと疑っていたが、どうやらちがうことに気がついた。それはドラマの視聴者層やそれを制作している人間が本質的にものすごく嫌いということだ。
フィクションの中ではさぞ人間、ホモサピエンス、ヒトという存在がかけがえのない、素晴らしい存在かのように扱われる。
あらゆるフィクション作品(現実での出来事であっても後世で語られる場合)では、人間の素晴らしさ、愛、恋心、家族、感情、感動、夢といった要素がとりわけて賞賛される。
そして、それらに背く存在はいかなる理由があろうとお話の都合上、悪として語られる。

現実世界ではどうか。
近代以降、人を一時的に機械やロボット、コンピュータや兵器の代替品として扱うことで、人間は文明を発展させてきた。
しかし、これはヒトの生活品質を向上させ、より安定した生活、快適な生活を実現するものだった。
しかし、その影にはいつも戦争やブラックな労働環境、学校での管理教育や受験戦争という人を人として扱わない構造が存在した。

会社や職場ではパワハラをし、人をロボットや兵隊としてしか扱えない人間が、テレビでやっている感動モノのドラマや作られた半分ノンフィクションのお涙頂戴のお話に心動かされている。


この矛盾に耐えられないという人は多いのではないかな。
よくあるじゃん、ツイッター(X)でもいじめっ子はディズニーが好きだとか、銭ゲバテレビ局がつくってる24時間ナントカテレビが偽善だとか。

某インセル系インフルエンサーアカウントが、綺麗事はウソでクソと言っていた。彼のことは私は嫌いだが、それはただしいなと思った。

そして、違和感を感じないでむしろ自分の悪事を塗り消すために綺麗事を押し付けられる人間が大成していくんだなとすら思う。

人は何を言っているかではなく、何を実際にやっているかで判断しろ、とは名言だ。

さて、これ以外の理由に、現実で摂取できないものをフィクションで摂取するという考え方もあるだろう。
そのような心の余裕がない人にとっては、それは地獄となる。

むしろ、24時間テレビやディズニーとは真逆なポルノや暴力、戦争や犯罪をテーマにしたゲーム、映画などこそその典型的な例だろう。多分に漏れず、気持ちいいことや楽しいことはやってはいけないことがおおい。
現実で摂取できない人間らしさを、フィクションで埋めようという試みにどうも賛同出来ない。
私も私とて心の余裕がないのだろうか。ともかく、私はフィクションを楽しめないのだ。これはいつまで続くだろうか。

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