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日日雑感~柔道の判定に思う

 またも、というか、案の定、というか、オリンピック初日から柔道は疑問の判定が起きてしまった。

永山竜樹選手の準々決勝

 男子60キロ級の準々決勝では、永山選手がスペインの選手に敗れた。スペインの選手が寝技から絞め技に移行、審判が「待て」をかけた後も4~5秒ほどスペインの選手は絞め技をかけ続け、永山選手が失神。審判がスペインの選手に一本勝ちを宣告した。

 私にははっきり審判は「待て」をかけたと見えたし、技をかけ続けるスペインの選手に「待て」と声をかけたように見えた。

 そのうえで永山選手が「落ちた」と判定するのは明らかにおかしい。試合は止まっているのだから、その状態で何が起きようとも「なかったこと」にされるべきではないのか。

 この試合を納得のいくように説明するとすれば、「待て」をかけてしまったが、その時にはすでに永山選手が「落ちて」いた、という場合以外にない。

 だが、それであれば「待て」が誤りであったことを、せめて永山陣営にだけでも、できるならば場内に説明をするべきではないだろうか。

角田夏実選手の準決勝

 女子48キロ級の角田夏実選手は、準決勝でスウェーデンの選手と対戦し、反則勝ち。ゴールデンスコア方式の延長戦に入った後、相手選手に3つ目の指導が与えられたためだ。

 この試合は、テレビをつけた瞬間が試合の決まった瞬間だったので試合は見ていないのだが、場内は大ブーイングで、スウェーデンの選手が猛抗議をしていた。解説者が「なぜ指導になったのかわからない」と言っていたので、相当微妙な判定だったのだろう。

 判定が覆ることはないとしても、せめて「何をどのように判断して指導を与えたか」、その説明くらいはあってしかるべきなのではないか。

審判は場内への説明を

 試合の結果は覆らないにしても、不利を受けた(と感じた)選手への説明、ビデオの確認などをしてもよいのではないか、と思う。

 そして何より、場内に対して、判定に至った経緯について、審判が説明するということがあってもよいのではないだろうか。その場でビデオを見せてもいいし、後で確認してもいい。

 だが、いずれにしても、すべての人がその判定が正しかったのかどうか、確認する機会があってもいい。そのうえで、それぞれの人がどう感じたかは、ある意味「別にどうでもいい」ことだ。百人いれば、百人の受け止めがある。それでいい。しかし、今は受け止めができないまま放置されているようなものである、と思う。

誤審は起こるもの

 人が人を裁く以上、誤審は起こるものだ。それは仕方のないことだ。だが、それを改めようとする働きが、競技の中でなければ、信用を失う一方である、と思う。

 そもそも副審によるビデオ判定のルールがあるのなら、それをもっと頻繁に行ってもよいだろうし、選手にビデオ判定を求める権利を与えてもいい。

 少なくとも、今の柔道は、審判に疑念を抱きながら選手が試合をしなければならず、疑念を払拭する権利がないという、言ってみれば誰も得をしない状態になっている。これではいけない、と思う。

 判定は覆らなくても、例えば、大会の中でどれだけ誤審があったか、検証する仕組みがあってもいい。そのうえで、誤審の多い審判には大きな大会から外す処分をするなどの仕組みがあっていいのではないか。そうすることによって、審判への信頼は高まるだろう。

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