見出し画像

『お別れホスピタル』に見た、ある生と死【ネタバレあり】

 2024年2月、NHKで『お別れホスピタル』というドラマが放送された。全4回の短いシリーズだったが、面白いドラマだった。「まだ観てないよ」という方は、ここで戻っていただきたい。

     *

     *

     *

いろんな不条理

 このドラマの舞台は2018年の療養病棟。一度入ったら出られないという、終末期の患者ばかりの病棟だ。

 主人公の歩(岸井ゆきの)はこの療養病棟に働く看護師。死が常に隣り合わせにあり、広野医師(松山ケンイチ)は死は常に不条理なもの、と捉えている。

 しかし、このドラマでは、死に限らず、いろんな不条理が描かれていたと思う。歩の妹は壮絶なイジメに遭って引きこもりになり、家庭はメチャクチャになって、歩は家を出て一人暮らしをしている。
 病棟ではバリバリ仕事をこなし、人気もある看護師。息子を大学に送り出そうというタイミングでがんにかかっていることが判明する。
 病棟の看護助手は、暴れる患者を実力で制してしまい、停職を言い渡される。

 この世の中は不条理だらけであり、それでも前に進んだり、ときには退いたりしながら、生きていかなくてはならないし、いつかは最大の不条理である「死」に直面しなくてはならない。

 今を、これからをどう生きるか、そしてどう死ぬか。

 それを考えさせられたドラマだった。

ある夫婦の生と死

 そしてとても印象的だったのが、水谷さんという夫婦のエピソードだった。

翻意

 水谷さん(泉ピン子)の夫は、重度の認知症で、暴言を吐き、夫婦の会話が成り立たない。
 そんなあるとき、水谷さんの夫は重度の肺炎になってしまう。積極的な治療をしなければ、夫は間もなく死んでしまう。人工呼吸器をつける選択もあるが、おそらく意識はもう戻らないらしい。

 息子と来院していた水谷さんは、選択を迫られる。息子は、「お父さんは自然に死にたいと言っていた」からと、このまま逝かせてやりたいと思っているし、母さんも以前そう言っていたじゃないか、治療費だって払わなきゃいけないんだよ、と説得する。
 しかし、水谷さんは、どうしても夫を逝かせる決断ができない。「まだお父さんと話をしていないから」と。

 結局人工呼吸器をつける決断をした水谷さん。静かに横たわる夫のベッドサイドにいて、夫に語り掛ける。当然返事などないが、「久しぶりですね、こうやって話すのは。お父さん」と語り掛ける。

 このシーンを見たとき、ハッとさせられた。

 私は、これといって病気があるわけではない。が、ぼちぼち総合検診でも、腎臓を皮切りに、糖尿、尿酸値などに異常値に近い数値で出るようになってきた。以前から、辛く苦しい治療はごめんだと思っていたから、これを機会に「事前指示書」を書くことにした。終末期に入ったら、できるだけ自然に逝くことができるように、積極的な治療はしないこと、痛みや苦しみだけは取ってほしいことを希望していると妻に伝え、書面にした。苦痛を取ると会話などもおそらくできなくなるが、それは了承してほしいとお願いもした。

 しかしそれは死ぬ側の論理であって、看取る側の論理として、生きていてほしいというよりもむしろ、最後に会話がしたい。息を引き取る前に、あれもこれも話しておきたい。それはあり得ることだと思った。一日でも長く生きていてほしい、ではないのだ。最後に思い残したことを語り合う時間が欲しいのだ。

 この水谷さんの決断と、夫に寄り添う姿にはハッとさせられた。しかし。

現実に引き戻されるとき

 そう、夫の死を望むか生を望むか、その選択のときは、ある意味で現実離れしたときだった。それはそうだ。私たちが、人の生き死にを選択するなどというのは、そうそうあることではない。そんな経験をせずに死んでいく人だってたくさんいる。

 水谷さんはやがて、現実を向き合うようになっていく。いくら語り掛けても何の反応もない夫。それは語り合いではなく、水谷さんが一方的に語り掛けているだけ。果たして自分の選択は正しかったのかと、自問自答するようになる。

 看護師たちは、最近水谷さんが病棟に姿を現さないことに気づく。そんなとき、歩は病院の外で、病院に向かっていた水谷さんとばったり出会う。どうも最近少し体の調子を崩していたらしい。浮かない表情で病院に向かう水谷さん。「そういえば、爪切りを忘れたから、取りに帰る」と言い出す水谷さんに、「大丈夫ですよ。私たちが爪を切っていますから」と答える歩。

 もうおわかりだとは思うが、爪切りを忘れたというのは、病棟に顔を出さないための口実だった。人工呼吸器をつける決断をしたときはよかったが、後悔の念が水谷さんをさいなむ。

結末

 元気のない表情で夫を見舞う水谷さん。いつしか、夫のベッドに突っ伏して居眠りをしている。しかし、看護師の一人が何かおかしいと気づいた。水谷さんの心臓は、既に止まっていた。
 意識の戻らない、夫を残して。

 あまりにも救いのない最期であるように思えたが、物事の結末というものは得てしてこういうものだ。
 私だって人の生き死にという場面にあって、正しい決断ができるとは思えない。しかもそれは「ちょっと2、3日考えてもいいですか?」という類のものではない。即決を迫られる。そしてどんな決断をしたとしても後悔する。そう思う。

 だからこそ、事前によく話し合い、自分の最期をあらかじめ決めておく。勝手に決めてはいけない。決定に至る話し合いのプロセスが大事だ。「こんな話、まだ早いよ」と思っていても、水谷さんの夫のように、認知症になってしまい、話し合いができなくなることもある。

 一度話し合ったからそれでOKということでもない。一度決めた自分の最期について、自分が「やっぱり違う最期がいい」と思うことだってあるかもしれない。自分の想像していた終末期と、実際の終末期は全然別物であるかもしれない。自分のパートナーはその決断に納得していないかもしれない。

 だから、例えば健康診断のたびにでも、自分の最期について話し合っておくくらいがいいのではないか。事前指示書を見ながら、自分の思いに変わりはないのか、パートナーは納得しているのか、確認する作業は必要になるだろう。不幸な最期を迎えないために。


*   *   *

 最後までお読みいただきありがとうございました。もし、気に入られましたら、スキ・サポート・フォローなどしていただきますと大変うれしいです。筆者の励みになります。よろしくお願いいたします。

いいなと思ったら応援しよう!