疲労感と徒労感と
とにかく今日は疲れました。月曜日というのを抜きにしてもです。議会が始まったのでその分午前中にやることが増えたというのを抜きにしてもです。
2月の下旬から、やや緊張感や疲労感を覚える頻度が高くなりました。
「2月26日緊張感強い。」
「2月27日疲労感。」
「2月28日疲労感あり、歩くのも若干辛い。」
「3月4日土日除雪したせいか疲労感強く、かなり辛い。」
と、メンタルクリニック受診用のメモには書いてあります。確かに、今日に関しては土日が久々に大雪になって、休みだというのに朝も早くから除雪に駆り出された関係で、肉体的な疲労が蓄積していたというのはあります。それでも、歩くのも辛いほどの疲労感など、いささか不穏な文字が並んでいます。
今週末はメンタルクリニック通院日なので、先生にしっかり話をしてきます。
とはいえ今日は、疲れると言っても「徒労感」を感じる一日ではありました。一体自分は何のために仕事をしているのだろう。一体自分は誰のために仕事をしているのだろう。なぜ自分はこんな仕事をしているのだろう、しなければならないのだろう。そんな思いが押し寄せてきて、私を暗い海の底へとさらっていくのです。
いつか物語にも書きましたが、とある病院のシュレッダー係というのは私のことです。
シュレッダーというのは粘着物を嫌います。粘着物が絡まった状態でやたらに負荷をかけるものですから、あちこちの部品が壊れます。
そのため、異物を取り除く作業を行うのですが、セロテープ、付箋、果てはサージカルテープ、ビニールテープまで。書類を入れるコンテナには紙以外のものは入れるな、粘着物は入れるなと書いてあるにも関わらずです。
私の仕事はあなたがたが好き放題ふるまうためにしているのではない、と言いたくなるのをグッとこらえて、数百枚から数千枚の紙の裏表をチェックします。
こらえた言葉が澱となって、心に堆積していきます。心の大きさには限りがあり、いつの日か心に堆積した澱は、心をいっぱいに埋め尽くしてしまうことでしょう。そのとき何が起きるのかは、私にも、誰にもわからないことです。
iDeCo(個人型確定拠出年金)を政府が税制上の優遇をして“推奨”しているのはなぜでしょう。それはそういうことだからではないでしょうか?
かつて老後のために2000万円の資産を残しておけと言って叩かれた政治家がいましたが、新NISAの非課税保有限度額が1800万円なのは、単なる偶然なのでしょうか?
私の薄給では、とても老後のための十分な資産が形成できるとも思われません。
明るい老後が待っていないとするならば、そこにはどんな世界が待っているのでしょう?
明るい老後が待っていないとするならば、私は何をモチベーションにして日々働いていけばよいのでしょう?
そこに光明が見えるから、頑張れる。疲労も苦労も引き受けられる。そこに光明が見えないのだとしたら? そこに光明が見えないのに、徒労を引き受けさせられるのだとしたら?