自分のいま
どうにもスッキリしない。
書きかけたnoteのほうもどうにも筆が進まない。右往左往というよりは、右に行けばいいのか左に行けばいいのか迷っている感じだ。
しばらくいろいろなことを休んだのは、それはそれで良かったのかもしれない。かもしれないが、その分──その分という表現は正しくないのかもしれない──自分と向き合う時間も取れた。
自分と向き合うというのは、自己肯定感の高い人にはいいことなのかもしれないが、自分のように取り立てて取り柄があるわけでもなく、学歴もなく、もちろん学もなく、これといった資格もなければ技能も持ち合わせていないような人間にとっては悪く働くことが多い。
自分は何のために生きているのか、自分はどこから来てどこへ進んでいくのか、自分の存在価値は、存在意義は奈辺にありや……と深みにはまっていく。
稼ぎがあるわけでもない。今している仕事がどんなに嫌になっても、職場を辞めてしまえば今度こそ雇ってもらえそうな場所はない。これで子供でもあれば、父親としての存在意義もあるのだろうが、それもない。私のいまは、ないない尽くしだ。
自分のどこに、この世界に生きた証を残せるものがあるというのだろう。
自分はどう生きたかったのだろう。どのような自分であれば、自分を受け入れることができただろう。どのような自分であれば、自分を赦せただろう。どのような自分であれば……。