小松左京の思い出

 先日、ヨーロッパ在住の友人とチャットで話していたときのことだ。彼女には子どもが2人いて、ついこの間まで夏休みを利用して日本に帰ってきていた。帰国後、彼女は仕事が始まったが、パパと子どもたちは夏休み後半ということで再びヨーロッパ旅行に出かけたのだという。
 それを聞いて私は大層うらやましく思いつつ、「外国語はからっきしだから外の世界に憧れているだけで、一生外の世界には出られないんだろうな」と自分のことを振り返ったわけだが……これこそ小松左京が描いた『すぐそこ』ではないのかと思って、小松左京を貪るように読んでいたころのことが鮮やかに蘇ってきたのだ。

別冊宝島『怖い話の本』

 小松左京の『日本沈没』と言えば、一家に一冊は言い過ぎにしても、一世を風靡した大ベストセラーで、実家にもあったのを思い出すが、さすがに中高生の頃は読んだことがなかった。
 そんなある日、巡り合ったのは別冊宝島『怖い話の本』だった。この中で、小松左京の短編が取り上げられていて、それが『牛の首』と『くだんのはは』だった。
 『牛の首』がどういう文脈で取り上げられていたかはちょっと思い出せないのだが、『くだんのはは』はその後の鈴木光司『リング』につながる伝染系ホラーの先駆けとして紹介されていたように思う。
 そこでどうしても本物が読みたくなって買い求めたのが、角川ホラー文庫の『自選恐怖小説集 霧が晴れた時』だった。

『自選恐怖小説集 霧が晴れた時』

 この短編集には、『すぐそこ』、『まめつま』、『くだんのはは』、『秘密(タプ)』、『影が重なる時』、『召集令状』、『悪霊』、『消された女』、『黄色い泉』、『ける』、『蟻の園』、『骨』、『保護鳥』、『霧が晴れた時』、『さとる、、、の化物』の15編が収められている。
 私はこの短編集を買ってから、本当に何度読んだかわからないくらい繰り返し読んだ。どの短編も、微妙にテイストが異なっていて、作品によって好みが分かれることもあるだろうが、読み飽きしない構成になっていると思う。

『すぐそこ』

 早速、『すぐそこ』を振り返ってみよう。
 ハイキング中に道に迷った男性が、山中をさまよい歩く。山中で会う人々は、みな「すぐそこ」と言って県道へ出る道を親切に教えてくれるのだが、一向にたどり着くことができない。夜まで歩きとおした彼は、一軒の家に、泊めてもらうことになったのだが──。
 ここに、こんな一節が出てくるのだ。

「でも、どうして“過疎地域の幽霊”とお思いになったんですの?」と女子学生がきいた。
「ただ何となくそう思っただけだが、──一つは、出あった人たちが、みんな、都会や、都会へ行く道を、すぐそこ、、、、といいながら、どうしてもはっきり教えられなかった事だ。また、町へ行ってみたい、といいながら、彼らと都会との間には、深い、心理的生活的な断絶があって、遠くからのぞみながら、その深淵をこえられなかった。──そういった、心理的障壁のために今までの生活環境はどんどん荒れ果てて行きながら、とうとう最後まで、過疎地帯からぬけ出る決心がつかなかった人たちの、町に対する憧れと、どうしても思い切ってそこへ出かけて行く決心がつかなかった事への絶望とがつみかさなりこりかたまって……」
「それで、その“幽霊空間”ができたの? おかしな話ね」と女子学生は笑った。

小松左京著、自選恐怖小説集 霧が晴れた時、角川ホラー文庫、1998、p.17

 どうだろう。「都会」を「外の世界」に置き換えると、まるで私はこの“幽霊空間”の住人のようには見えてこないだろうか?

表題作──『霧が晴れた時』

 表題作の『霧が晴れた時』は、これぞSFといった風情の作品だ(SFを語れるほど読み込んではいないが)。ある一家が、近郊の山にハイキングに行く。その道すがら、一家は突然の霧に包まれ、その霧が晴れた時、母と娘の姿は消えていた。警察に捜索を依頼しようと、慌てて山を下りるが、そのころ麓の町が霧に包まれはじめる──。

戦争の恐怖──『召集令状』

 この短編集の中でも特に好きな一作。ある日突然、全国の若者のところに「召集令状」が届き始める。だれもがたちの悪いいたずらだと思っていたところ、やがて召集令状をもらった若者たちの失踪が相次ぐようになる。若者たちは失踪からの抵抗を試みるも、ことごとく失敗し、「召集」されていった。この世ではないどこかに、あの戦争が終わっていない世界があって、超常識的な力を持った誰かが、こんなことが起こればいいと念じた結果ではないか、と主人公の同僚が結論付ける。主人公はその人物が誰かを知り、その人物の元に向かうが、その人物が今際いまわきわに発した恐るべき言葉とは──。
 最後の数行にとてつもない恐怖が待ち受ける作品で、さきの戦争、すなわち太平洋戦争で味わった恐怖が、創作の下敷きになっていると思われる。
 また、作中に、主人公の上司が「出征」する場面があり、そこで歌われた歌(戦時歌謡)がどんなものか知りたくて、わざわざ軍歌のCDを買ったくらい、この作品には熱中した。

実在する恐怖?──『くだんのはは』

 これも太平洋戦争にまつわる作品。
 芦屋に住む「僕」の家が阪神間大空襲で焼かれ、途方に暮れていたとき、家政婦に会う。その家政婦がこれから通う邸宅に、避難を頼み込んでくれ、「僕」はその邸宅で過ごすことになる。その邸宅には「病人」がいたが、家政婦からは「病人」のいる母屋への立ち入りを固く禁じられる。しかしある日、客用の便所を使いに母屋に立ち入ったところ、家政婦と鉢合わせしてしまう。家政婦は、膿と血にまみれた繃帯がいっぱいに入った洗面器を持っていた。そして今度は、台所で洗面器に、汚らしくどろどろしたもの──たしかに食物だった──をなみなみと注いでいた。
 ある日、その邸宅のおばさんが、その家にいる守り神と、家にまつわる劫の話をする。そしておばさんは、広島に原爆が落ちることや、日本がこの戦争に負けることを“予言”し、実際にそのとおりになる。その予言は、この家にいる「あの子」がするのだという。
 戦争に負け、やけを起こした「僕」は、ついに「あの子」の姿を見てしまい、おばさんから「あの子」が「くだん」であることを告げられる──。
 件は、実際にいるとされる怪物で、世の中に良くないことが起きそうになると現れるのだという。阪神淡路大震災のときも、目撃例があることが『新耳袋』などで語られている。
 そしてこの物語の結末は伝染する恐怖として、くだんを実際に見てしまった「僕」と、「僕」を通してくだんを見てしまった読者に襲いかかるようになっている。名作中の名作といっていいだろう。

核戦争の恐怖──『影が重なる時』

 小松左京が作品を残した時代は、冷戦で核軍拡競争が行なわれていた時代と重なる。その時代は、核戦争の恐怖が最近とは比べ物にならないほど実感として感じられた時代だったのだろう。核戦争・核兵器に対する恐怖を扱った作品も少なくない。
 ある日、主人公の新聞記者・津田が住む街で「幽霊事件」が起こる。自分にははっきり見えるし、存在もしているようだが、他人からは見えない「分身」が現れる、というものだ。「幽霊」は電車のような無生物にも現れており、その街から半径30キロの範囲内にしか存在しなかった。

 死!──そうだ、この『幽霊』は、人おのおのの死とそっくりではないか? 他の人間には存在せず、自分自身にのみ存在する。それを前にして味わう直接的な恐怖は、決して他人とわかちあうことができない。ただ自分の体験から他人の恐怖を類推するにすぎない……。待てよ──津田はまたもや考えた。俺はかつて、こういう街を見たことがある。街全体が死の影につきまとわれ、生きながら死んでいるような街を、ずっとまえに訪れたことがあるはずだ。

小松左京著、自選恐怖小説集 霧が晴れた時、角川ホラー文庫、1998、p.129

 津田がかつて見た街の正体とは、そして「幽霊事件」の真相とは──。

 なぜこれが核戦争の恐怖とリンクするのか、これだけではわからないと思うが、実際に読んでみていただきたい。小松左京特有の、救いのないオチが待っている。

 この本を手にしたことを契機に、ショート・ショート全集や『日本沈没』、『物体O』、『題未定』など、いろいろと小松作品を読んだ。コロナ禍では、『復活の日』も読んだ。もうしばらく小松作品は読んでいないが(読書自体あまりしていないが)、これを機会に、もう一度小松左京でも読んでみようか。

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