幻夏/午前2時半までかかって夢中で読んだ小説
すこし余裕ができたので太田愛の「幻夏」を読んだ。ミステリーだから先が気になって、夜中までかかって読み切ったので今日は寝不足だ。
太田愛が面白い、と言っていた友人は弁護士なのだけど、なんで面白いと言っていたのかよくわかった。ただのミステリーじゃなく、日本の裁判制度や検察制度を考えさせる内容が散りばめられている。
(以下、ストーリーの核心には触れていません)
この小説の中心には、冤罪によって運命が変わってしまった家族がいる。日本において、起訴されたあとの有罪率は99%だ(テレビドラマにもなった数字だ)。
小説の中でこんな内容がある(うろ覚えなので多少間違ってたらご容赦を)。
・警察は取り調べにおいて被疑者を「叩き割る」。つまり徹底的に孤立させ、諦めさせて罪を認めさせる。それにより、凶悪犯が罪を認めることがある。一方、全く無実であっても、諦めて罪を認め、警察の作ったシナリオどおりに自供することもある。
・被疑者に20~30分の休憩しか与えず、22時間ぶっ通しで取り調べしても、裁判官によって「不当な取り調べとは言えない」とされた判例がある。そのような裁判官の態度によって、こうした取り調べは支えられている。
秀逸だと思ったのは、上記に対応するように以下のような内容も表現されているところ。
・確かに司法の原則は、10人の犯罪者を逃がすことになろうと、ひとりの無実の人間を罰することがあってはならない(疑わしきは罰せず)ことにある。しかし、本当にそんな社会を誰が望んでいるのか?本当にひとりのために10人の凶悪犯が取り逃されてもよいと言うのか?冤罪など宝くじに当たるより低い確率だとみんなわかっており、自分にそんなことがふりかかるなどと考えはしない。
確かに、検察の裁量が大きすぎる(日本において検察は被疑者に有利な証拠を提出しなくてもよい)、警察や検察の「挙げたからには有罪にしないと組織や自分のキャリアに傷が付く」という硬直化した組織、現場を自ら調べる裁判官は皆無に等しく、裁判官にとって事件は常に紙上の問題である、といった問題もある。これらは是正されるべき問題だ。
一方で、この小説は、そもそも我々国民がどのような社会を望んでいるのか?ということを今一度考えなければならないのではないか、と問いかけている。
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