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SPOTIFY:10億ユーロの巨額赤字の正体

先週スポティファイが届け出たNYSEへの上場目論見書。Dropboxの届出文書と同じくらいの分厚さだったのだけれども、ざーっと読むだけでもえらく時間がかかりました。というのはこの会社、上場するのがルクセンブルク法人で会計基準はIFRS。音楽ビジネス特有の運転資金の特性や外貨建新株予約権付短期証券での巨額調達などがありやたらややこしいのです。脚注にえらく大事なことが書いてあり、え、そうなの?の繰り返しで目を凝らしてどんどん読み進むはめに。こんなに目論見書の細かいところを読んだのは2014年9月のアリババ以来でしょうか。

ファンドマネジャーをしていた頃と違い、「で、買うの?買わないの?」に結論を出さなくてもよいのは大変気楽なのですが、興味本位で知識を蓄えても仕方がないため、発行体目線で役立ちそうな内容をまとめました。日本でもIFRS準拠の上場企業は増えていて、身近なところでもソフトバンク、ファストリ、リクルート、ヤフー、ネクソン、エムスリー、LINE以下150社近くにのぼるため、勉強しておいて損はないでしょう。少しでも皆さまのお役にたてれば幸いです。

まずは、損益計算書から…

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Spotifyの目論見書はそのほとんどがEUR建てで表示されています。一部報酬などはUSD表記なのですが、ついついドルで考えてしまうことがあるので気を付けましょう。まずは売上ですが、ぱっと見てここ数年は毎年綺麗に10億ユーロほど増えていますね。グラフにすれば直線で、成長率では鈍化しているということがいえます。これは進出済みの国では既にシェアが十分に高まった状態のため、次々と新たな国に展開しているということなのではないかと推測されます。後ほど地域別のユーザー数なども登場しますが、日本も明らかにこれからのマーケットですね。

2017年は売上41億ユーロに対して粗利が8.5億ユーロ。粗利率にして2割ちょいですね。他社の数字を見たことがないせいかもしれませんが、正直これ見てあれっ?と思いました。デジタル配信って5~6割くらい粗利率でるのかと思っていたんですが、配信しているのは他者の著作物ですから原価が嵩むんですね。文章中、2017年末までに80億ユーロを超えるロイヤリティをこれまでに支払ってきたとの記載があり、2008年のサービスローンチ以来の売上高を115億ユーロくらいだと推測すると、仕上がりで原価率7割分くらいが著作権ロイヤリティということになります。粗利2割になるわけですね。ちょっとググってみると、日本では小売店がCDを販売する場合の仕入原価が7割だと書いてありますから、それよりもぐんと粗利率は低いということになりますね。旧来のダウンロード方式とストリーミング方式との収益構造の違いも気になるところ。どなたか詳しいかたがいらしたら是非教えてください。

ネット金融費用の8.6億ユーロって一体?!

さて、Spotifyは12億ユーロの大赤字だというヘッドラインは多くのかたが目にされたことと思うのですが、営業赤字3.8億ユーロをそんな巨額の純損失にしている張本人が表右下に記載されたネット金融費用の8.6億ユーロです。これ、いったいなんでしょうか?

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キャッシュフローを見てみると、営業CFが1.8億ユーロの黒字になっており、過去3年間で徐々に改善しています。純利益と営業CFの額が乖離することは日常茶飯事ですが、通常その差は減価償却と運転資金増減、たまにSO費用ですから、そんなに天地がひっくり返るような違いが出るものではありません。はて。

ハイライト2行目の投資CFは一転して大幅な赤字、直近2年間で12.6億ユーロものキャッシュアウトとなっていますが、これBSを見ると同期間で10億ユーロほども短期投資につぎ込んでいることが分かります。設備投資などとは異なり、経常的に事業にかかるキャッシュアウトではなさそうですね。

というわけで、いわゆるフリーキャッシュフローのうち事業にまつわる経常的な部分は下馬評とはちがい、そこそこ健全のように見えます。競争の激しい業界だからさぞかしキャッシュバーンしているのかと思いきや、ですね。

なんとその正体は「悪魔の契約」が生むノンキャッシュ費用だった!

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ますます12億ユーロの大赤字ってのが一体なんなのか気になります。営業CFの調整項目であるEBITDAが解説されているので見てみると、足し戻し項目に先ほどのネット金融損失8.6億ユーロがあります。なにこれノンキャッシュなの?はい、日本の会計基準でこんな巨額のノンキャッシュ金融費用ってのは滅多に見ないと思います。私の記憶のなかでも、旧貸金業法下で大手ノンバンクがばんばんファクタリングしていた頃くらい、ですかね。。

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さらにページを繰っていくと、巻末の注記のところに金融費用の細目が掲載されています。ネット金融費用の8.6億ユーロの元凶は、5億ユーロのConvertible Noteの時価評価損益と、3億ユーロのデリバティブ債務の時価評価損益ということです。Convertible Noteってのは、2016年春に「悪魔の契約」と盛んに報道された、10億米ドルの資金調達のことですね。こいつがなんと調達以後の2年間で計7.7億ユーロもの巨額の損失を生んでいるということなのです。ざっくりEURUSD=1.2で考えると調達額が9割がた損失に。まさに尋常ではありません。

Convertible Bondといえば転換社債のことですね。Convertible Noteと言われるのはこれが短期で償還されることを想定された証券だったからでして、その主要タームは以下のとおりと開示されています。

① 2016年4月1日発行、2021年償還のパー発行 ② 金利は現金払いの代わりに元本が増えていくタイプで、当初5%が2018年4月1日以降は6ヶ月ごとに1%上昇 ③ 普通株への転換権が付いており、そのストライクは普通株価格に対してディスカウントが付与された水準。ディスカウント幅は当初20%が、2017年4月1日以後6ヶ月ごとに2.5%ずつ拡大していき、さらに実額の上でも一定の上限つき。 ④ 償還期限までに一定の転換イベントが発生しなければ、仕上がりで年率10%の金利を付与して償還する

これ5年ものの債権なのですが、③にあるとおり、1年経った時点からどんどん転換ディスカウントが拡大していくため、2016年4月時点では、たいがい1年で返済するよね、という考えのもとに発行されたものだということですね。時は過ぎていまや2018年。ディスカウント幅は既に25%で、今年4月以後は金利も跳ねあがっていきますから恐ろしいシロモノです。

とはいえ一括で10億ドルです。アップルやアマゾンと戦う企業はやっぱり5年後どうなってるか分かりませんから、そうそう簡単にそこまでの資金調達はできないもので、去年の春あたりは結構こういったタームのディールは出回っていたと聞きます。

あまりにエキゾチックな転換権は資本として認められない?

このConvertible Noteがなぜ額面の9割にも及ぶ巨額損失を生んだのでしょうか?以下は100%確実だと断言できるまでには至っていないのですが、AES32やら39やらIFRS9やらを読んでみたところ、それはこいつが転換価額が修正されうるタームで、しかもドル建てだったからのようなんです。

どういうことかと言うと、通常IFRSでは資産だけでなく債務も洗い替えが行われるのですが、デリバティブ債務の場合は時価評価された結果の前期差額について、その金額を常に損益認識しなければなりません。ここで普通の転換権付き証券であれば、通常それは債務部分と資本部分とに分離され、転換権すなわちコールオプション部分については資本に計上されるので洗い替えなどないのですが、ところがどっこい、その要件というのが、一定の金額に対して一定の株数を発行する類のもの、と定義づけられているのですね。米ドルはSpotifyにとっては外貨ですし、転換ストライクはその時々の株価に対してディスカウントが付いており、しかもそのディスカウント幅も広がっていくとなれば、到底これは一定金額と引き換えに一定数の株を発行するオプションとは言えませんね。結果、このConvertible Noteは債務と資本とに分離されることなく、丸ごと債務計上されているということのようなんです。そうするとどうなるか。毎期洗い替えしなけりゃいけないのですね。転換権付きの証券ですから、当然普通株の株価があがればConvertible Noteの価値は上がります。債務の価値があがるということは、それと同額の費用計上が発生するということで、株価があがればあがるほど損失額が雪ダルマ式に膨れ上がるという不思議な現象が起きてしまうという訳です。

Spotifyは昨年末にテンセント子会社との株式の持ち合いを行っていますが、その際、このConvertible Noteの保有者が1ドル68ユーロ強で転換権を行使し、手にした株をテンセント子会社に売却しています。その取引において、元本3億ドルのConvertible Noteが6億ドル相当で評価されたと開示されていますから、要するにだいたい倍になったということですね。調達額の9割に相当する巨額損失とだいたいマッチします。

さて、こうした会計処理は日本でもIFRS基準では同じはず。そんなの見たことないぞと思って調べてみたんですが、最近日本で外貨建てCBを発行したのは地銀のほかニッパツや商船三井、ミスミなどしかなく、いずれもIFRS基準ではないんですね。MSCBも最近は見かけなくなりましたから、恐らく同様の事例は日本企業には存在しないんじゃないでしょうか。いやはや大変勉強になりました。

PLは大赤字だけどCFは黒転していてEBITDAは結構な赤字が続く。。結局どれが実態なの?

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Spotifyの巨額純損失は、そこそこエキゾチックな転換社債型新株予約権付短期証券とでも訳すべきシロモノのせいだということが分かりました。大事なことはそう、ノンキャッシュ項目だということです。将来にわたってもノンキャッシュですから、あまり気にすることはないのかもしれません。唯一のポイントは、既存株主はどでかい希薄化をくらったということですね。総資産の額は変わりませんから、洗い替えによって債務が膨らむ代わりに損失を出して資本を圧縮して帳尻が合うようになっています。

営業CFに目を戻してみますと、足し戻し項目には金融費用のほかに、ハイライト3行目、結構な額の運転資金の変動項目があることが分かります。Increase in trade and other liabilities、よく見る項目でいうと買掛金等の増加ですね。なんだこりゃ。

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ちなみにEBITDAの計算では、有形無形の減価償却、ネット金融費用、それと法人所得税のみの足し戻しとなっています。フルフルに足し戻す営業CFとの違いは、ストックオプションの支払いが6500万ユーロのほかは運転資金増減ですから、上記Increase in trade and other liabilitiesがEBITDAと営業CFの差額のほとんどを占めるということが分かります。

海外企業はEBITDAやFCFなど会計基準で定められていない項目については勝手に定義をつくりますから気を付けなければいけません。(個人的にはこのEBITDAが一番実態に近い数字なんじゃないかと思いましたが、これがまた超横ばいなので、今後Spotifyが血の海を泳ぎ切れるかどうかに期待です)

運転資金にもカラクリが。。どんどんキャッシュが溜まっていく?

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運転資金の変動ですから、上記ハイライト部分がその主だった項目ですね。みてみると、うわぉ、売上が年10億ユーロずつ増えるに従い、運転資金のマイナスがどんどん大きくなっている。これはマイナスの支払いサイトなのか??なかでも巨額なのがAccrued expenses and other liabilities、すなわち未払費用にあたる項目で、これが売上の2割もありますね。これが一過性の現象でないのなら、売上成長と共に現金が溜まっていく構造になっているように見えます。だとしたら素晴らしい。

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巻末にしっかり細目も記載されています。未払費用のうち大きなのはなんと未払いロイヤリティーでした。さてここで頭をよぎるのはモチロン、年始にニュースを賑わせていたWixenによる大型訴訟ですね。請求総額16億ドルの大型訴訟が年末に起こされていたりするので、ここは要チェックです。

テキスト部分を目を皿にして読めばもう少し書いてあるのかもしれませんが、残念ながら私にはこれ以上のことは分かりませんでした。が、ロイヤリティーがいくら後払いだからといっても、ちゃんと原盤使用権等を得てないだろとばんばん訴えられている状況下、ロイヤリティー未払費用がどんどん膨らんでいることをもって負の支払いサイトだと早計するのはちょっと心配ですね。このあたりは会社に取材しないとなんとも分かりません。

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ちなみにロイヤリティーのミニマムギャランティーは残高で16億ユーロもありますが、大概2年以内だということですから有料ユーザーが今のペースで増えていけばギャランティーが発動することはなさそうです。ちょっと興味深いのはオペリースで、これはオフィス家賃だそうなのですが、なんと最長17年だとか。Wixenの訴状にも、「Spotifyは適切なライセンス取得をせずに配信する一方で、役員は高級を貪り、オフィスは超豪華」という趣旨のことが書いてあるそうですが、社員3000名ですから900億円程度のオペリース債務ということはひとりあたま3000万円てな計算に。坪単価4万円のオフィスをひとり5坪あてがっているとしても12年分以上ですから、すごいですね。

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ところで先ほどの転換証券、リクイディティの状況をみると、これって本当に必要だったのという疑問が湧いてきます?投資CFのところでも見ましたが、短期証券への投資額が非常に多く、「悪魔の契約」と呼ばれた資金調達ですが、実はキャッシュバッファの役割に甘んじていたのでしょうか?Spotifyのように非常に多くの国で事業を推進する企業の場合はそこまで自由にキャッシュを動かせないため、実際は連結BSでは分かりませんが。

日本ではフリーミアムが成り立たない?

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さて、事業面の解説はごくさらっといきたいと思います。まずはKPIですが、1.6億人のMAUというのは種々の報道でも盛んに引用されていますね。そのうち約45%にあたる7100万人が有料ユーザーです。この比率が伸びてきているのですね。ARPUは5.3ユーロですが、日本でも自分だけでなく同居家族5人も使える家族プランというのが伸びてきていますから、結構なペースで低下してきています。

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売上の9割は有料プランということで、この比率はほとんど動いていません。

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有料プランと無料プラン(広告収益)それぞれの粗利が出ています。有料プランは22%、無料プランも10%の黒字になっています。2016年と2017年の間くらいが粗利上の損益分岐点だとすると6000万人くらいでトントンという計算ができますが、そうだとすると日本国内だけでこうしたビジネスをやっても広告モデルでは全く成り立たないということなのかもしれません。。

日本に対する気合いの入れ方は尋常じゃない?

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ところでちょっと面白い情報も出ていました。Spotifyに限らずお試し期間というものがよくありますが、IFRS15という新しい会計指針の導入があり、これまでトライアル期間の損失は直接マーケ費用に計上されていたのが、売上と原価がそれぞれ計上されることになったとのこと。その影響額が懇切丁寧に開示されています。前述のとおり有料ユーザー事業の粗利は22%なので、これを使うと、2017年については正規料金100のところを24で売っていたということになりますね。正規料金の4分の1ってことですね。これに対し、日本ではいま正規が月額980円のところお試し期間は3ヶ月100円ぽっきりですから、正規料金の3%ちょいしかかかりません。かなりのお買い得ですね。まだ全く普及していないがそこそこ大きなマーケットなので相当な攻勢に出ているということかもしれません。

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7100万人が欧州、北米、南米、その他に分けて開示されていますが、日本は右下の600万人の中に含まれているんですね。音楽マーケット自体の日米差は結構ありそうですが、とはいえこの「その他」はもっと伸びるでしょう。

持ってない株で会社を支配する創業者

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さて、Spotifyのガバナンス体制について極めて特徴的なのは、ダイレクト上場に先立ち創業者2名がBeneficiary Certificateなる証券を受け取っており、8割の議決権を握っているということです。これはもはや和訳すら浮かんできませんが、普通株の議決権では4割程度のところを8割にしているんですね。ひょっとすると希薄化の発生しないダイレクト上場を行うこととの引き換えに既存投資家たちが譲歩してくれたのかもしれません。

ちなみに、上記画像だけやたら細かい文字を付けておいたのは、この表に記載されている普通株にまつわる議決権数のところ、実はDaniel Ekさんの株数にはTiger Globalなどに売却済みの株数も含まれているということが書いてあります。神は細部に宿るんですね。。って、こんな細部に宿らせてる例あまり見たことありません。議決権行使委任契約を結んでいるということです。ちなみに大学の同期がこないだまでTiger Globalの上場株運用責任者だったんですがこの会社は本当に世界一流のファンドだと思います。

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過去の株取引実績も開示されています。どなたか時間のある方は、発行済み株式総数と株価を掛け算してバリュエーションを出してみてください。セカンダリー取引が結構あるけど、発行済みに対する割合はごく僅かで100億円とかそんなもんですね。

スウェーデン企業の社会保障費負担はなんと31.42%

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さて、大詰めになってきました。スウェーデンの企業ということで、Spotifyは社会保障費をなんと支払給与の31.42%も収めています。有名なゆりかごから墓場までってやつですね。これなんと、社員がSO行使で得た利益に対しても会社が支払う必要があるとのことで、そもそも給与と見なされもしない道を作ってくれている日本のSO税制が大変お得だということが分かりますね。

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無期限の繰越欠損金?オーナーシップチェンジなどがあると使えなくなりますから、確定している訳ではありませんが、7割がた無期限ってのは羨ましいですね。日本でもベンチャーは無期限に繰欠を認めてほしいものです。

最期に、YouTube、Spotify、AppleMusic、Deezerほか主要音楽ストリーミングサービスの再生あたりロイヤリティ支払額と再生回数をまとめたサイトがあったのでご紹介します。アップルやGoogleも赤字だと思われるため参加者すべてが「大赤字」という、まさに血の海のような業界だということがよくわかります。既にiTunes Storeからの音楽ダウンロードは今年のクリスマスシーズン後に停止されると言われていますし、日本でも非常に競争の激しいこの業界、今後も目が離せなさそうです。

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https://informationisbeautiful.net/visualizations/spotify-apple-music-tidal-music-streaming-services-royalty-rates-compared/


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