1月の4本
スペースノットブランク「ウエア/ハワワ」
1月15日13:00 こまばアゴラ劇場
もっとガンガン笑いが起きてもいい作品だったんじゃないかと今になって思う。とはいえ、そういう作られ方をしていることに気付くまで時間がかかりすぎた。
ストレートに受け取れば笑えるはずの言葉が芸術点の高さに阻まれてしまっていた気がする。おかしなことを言っているが、もしかしてそこには深遠な意味が隠されているのではないか。こんなところで笑ってはいけないのではないか。そう思わせてしまう演出が多く、特に一本目の「ウエア」は表面的な楽しさすら額面通り楽しむことができないまま終わっていった印象がある。あとこれは自分がチラシのストーリーラインに惹かれて観に行くことを決めたので、なんかそういう表現形態じゃなくてもっとストーリーを語ってよと思ってしまったせいもある。
そんな「ウエア」の不安を抱えたまま始まった後半戦「ハワワ」なので、受け入れるのに余計な時間がかかった。並外れたセンスによって構築されているのが明確にわかるぶん、劇中の「センスのないやつは何も作っちゃいけないと思っていた」という台詞に、おそらく望まない方向への説得力が加算されてしまうのは惜しいと思う。ちゃんとこういう作風だってことを受け入れた状態でもう一回見たかった気もする。
音響面の奇妙な心地良さはスタッフロールに櫻内憧海の名が現れた瞬間すべてが腑に落ちた。サントラあったら欲しい。
中野坂上デーモンズ「死んだと思う」
1月16日13:00 下北沢OFF・OFFシアター
いいとか悪いとか正しい正しくないとかじゃなくて、俺が、今、見たかった会話劇はこれなんだよという感じ。会話はキャッチボールなんていうけどそれは半分くらい嘘で、嘘というか本当のキャッチボール以上に本当のキャッチボールで、投げてこられた球をうまく捕れないこともあればキャッチできるわけがないような大暴投をしてしまうこともあるし、投げたつもりの球が自分のすぐ足元にワンバウンドツーバウンドして転がることも偶然飛来した火球をボールと見間違えてキャッチして火傷を負うこともある。そういうものが全部入っていたから支離滅裂なのに物語は片時も消えてなくならない、一貫して目の前に見えていた。見える魔球だ。
たしかに観客は俳優のしゃべっていることを9割信じてなくて、信じてないというか本当のこと言ってるとは思ってなくて、それは「お芝居」がお金払って入る劇場の舞台の上で決められた時間に決められた段取りで行われるものである以上とても当たり前のことで、だけど9割信じてないまま見ている嘘の残り1だけでもひょっとしてひょっとしたら本当なんじゃないかって、そう思わせたら芝居の勝ちというか、その点デーモンズは勝ってた。わたしまけましたわ。
「うちらが死んだらいいね何個つくかな」って台詞はこの世の、現在の現実のうつつの現世のすべてを端的に言い表していたんじゃないか。
山口綾子の居る砦「遁屯」
1月29日13:00 早稲田どらま館
入場一番乗りだったから他の誰とも共有できない体験なのだけど、無理矢理ジェットコースターに乗せられたペニーワイズみたいな高笑いが劇場内にこだましていて、なんて攻めた客入れをするんだと思ったりした。海外映画のワンシーンかなんかだろうか、そこまで大音量じゃないのが却って恐ろしかった。客入れBGMは気がついたらJ-POPに変わっていたので、知らないだけであれもJ-POPなのかもしれない。
山口綾子の居る砦という風変わりな団体名の理由はパンフレットで説明されていて、そこを踏まえて考えると全体の構成にまで強いこだわりがあったように思える。あるともないとも言い切れないほど細い細い一本のリンクによって貫かれた連作短編であることとか、舞台上にゴミを散らかしてゆく(だけのことがどうしてあんなに美しく見えるのだ)「リ サイクル」から換気休憩の時間を使って一度片付けるのかと思いきやそのまま次の演目・その名も「片す」へ引き継ぐこととか。
「片す」を経由してから見る「アットホーム」のあの子は、実はひとりっ子なんじゃないかという解釈を個人的には採用したい。これは自分がひとりっ子だからというのもあるけれど、ひとりしかいないのにふたりいるあの部屋こそ「山口綾子の居る砦」の名前に相応しい気がしていたから。
遁屯(トントン)のタイトルもすごくいい。遁走しているのに屯(たむろ)するだなんて。逃げながらその場にとどまること、今いる場所を戦わずして守ること。
演劇は嘘の物語を本当みたいにできると同時に、逆に、目を背けたい現実の音を嘘の遊び道具に変えてしまうこともできるんだ…ということを思い出させてくれた。目先の技巧に囚われて、こんな簡単なこともすっかり忘れていた。そのシンプルな魔法を最大の武器に、どこまでもふざけながら逃げのびてほしいと思った。
ガガ「陽炎(大きな)」
1月29日16:00 祖師ヶ谷大蔵Cafe MURIWUI
直前の時期に出演者追加と演出変更、その後すぐに出演者の降板とバタバタが相次いだので、かなり心配はしていた(クオリティへの心配ではない)。すべてが不可抗力だったとはいえ、見る側もやる側も精神力を大きく削られたんじゃないだろうか。
アクの強い作家が二人いて、しかもそれぞれの持つアクの種類が全く異なるガガの短編集ともなれば相当な濃い味付けになるだろうと予想していたけれど、思った以上に食べやすい盛り付けだったのはちょっと驚いた。でも両者とも一本目から示し合わせたように揚げ物を(比喩じゃなく)出してきたのには笑った。
まさかもう一度見られるとは思わなかった「濡髪と指輪」があったのも良いし(今回はほとんど事前情報を入れてこなかったので演目も知らなかった)、絶対的に面白いのにその理屈が全然解析できず壊れたシンバル猿のおもちゃみたいに笑い続けるしかできない講談「チャーハン」が凄まじい劇密度だった。