SixTONESというもの

なんか、誤解されて伝わると嫌なんだけど、ジェシーにはSixTONESの太陽、と呼ばれる明るさの一方に自分のこの命はかりそめのもの、と悟って生きているような「哀しさ」があって、皆、彼が持つその「陰と陽」のどうしようもないコントラストに惹かれ、彼を愛し、彼のもとに集うのではないだろうか。

かなし、は哀し、でもあり愛し、でもある。彼は、愛の人。愛の人、ジェシーのかりそめの命を懸命に生きる「哀しさ」そしてだからこそ彼が持つ「大きな愛」に私たちはどうしようもなく惹かれ、生きる力をもらうんだ。

それはSixTONES全員に関してもそうで、メンバーが帰ってもひとりでダンスの練習をし続けるきょも、一時期樹くんとしか話せなかったほっくん、デビューが決定してお兄ちゃんたちが泣く中ひとりステージで笑顔でい続けた慎ちゃん、きっと誰よりも苦労しているだろうに、心配かけまいと皆の前では爆モテじゅったんで居続けてくれる樹くん、この世は地獄、と言いながらその地獄をどれだけ楽しめるか、と言わんばかりにみんなを楽しませてくれるジェシー。

そんな5人を支えてくれてるのがまさにSixTONESのメンタルサポーター、髙地くんで、私はSixTONESに髙地くんがいてくれることに心から感謝してる。皆が言えないことも和やかな空気を壊すことなくハッキリ言えて、自分の現状についても冷静に分析できる目を持ってる。だから、SixTONESが好きなひとこそ、よくわかってる。SixTONESに髙地優吾という人間がどれだけ必要か。

「SixTONES」という、哀しみをたたえた6人がその一瞬に生命を燃やしパフォーマンスする姿こそ美しく、胸を打つ。「生きる」とは神から借り与えられたかりそめの生を燃やし尽くすこと。それを体現しているのがSixTONESという6人なのだと思う。だからこそ彼らはあんなにも、美しい。

私が個人的にいちばん強く「哀しみ」を感じるのが松村北斗さんで、その儚げな美貌、悲しみを抱えがちな与えられる役柄と哀愁を帯びた低く美しい歌声ははもちろん、彼の頭が良いからこそ、世の中の全てに怯え、だからこそ失敗のないように思慮深く考え、自分の歩幅で慎重に歩みを進める姿に共感を覚えてしまう。

この「世界」の恐ろしさを幼い頃からビンビンに肌で感じながら生きていただろう彼がTVの中のスターに憧れを感じ、飛び込んだもののいろんな悩みを抱えながら進む中でSixTONESという一生を賭すことができる存在に出会えたこと、心を許せる5人に出会えたこと、ほんとに良かったと思う。
生きることが難しそうな、そんな自分を手に余らしていそうな彼が今日も仲間と笑っていてくれるだけで、私は嬉しいのです。


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