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ファーストキスに会ってきた(ネタバレあり完全版)

「生きるとか死ぬとかよりたいせつなものがある」

数多あるタイムトラベルものを見ながら、坂元裕二は悔しかったんじゃないだろうか。腹立たしかったんじゃないだろうか。
どうして、タイムトラベルしてきた側ばかりがタイムトラベルされた側の気持ちを無視して運命を決めてしまうのだろう。された側にも運命を、たいせつなものを決める権利があるのに。生きるとか死ぬよりたいせつなものがあるのに。

同じ家の中でお互いに背を向けながら冷え冷えとした日々を何十年も生きながらえるより、同じ家の中でひとつのテーブルをかこみ、お互いに好きなひとの笑顔を見ながら短いけれど、期限がわかっているからこそ毎日を噛みしめながらたいせつに、幸せな日々を生きること。駈には、カンナとのそんな日々が何よりもたいせつだったんだ。

ひとは何かを失うことでしか何かを得ることはできなくて。駈は未来を、カンナはタイムトラベルの記憶を失うことで幸せな日々を得た。観るひとによってはバッドエンドに見えるかも知れないけれど、私には、駈自身が選んだ彼の、そしてカンナと駈なりのハッピーエンドに見えた。だって、最後の遺影の中の駈はムスッとした顔ではなく、やさしく微笑んでいたから。

しっかし坂元裕二、天才すぎる。
いちいちメモりたくなるような含蓄あるセリフのオンパレードに言いたいことはすぐ言い、やりたいことはすぐやる松たか子さんのストレートさと「顔面作ってくる!」などのお茶目なチャーミングさ、松村北斗さんの好きなことについて話し出すと止まらなくなる5歳児のような無邪気さと困ったように「あなたを好きになり始めてるからかもしれません」とカンナに伝える時の胸がキュンキュンするよなかわいらしさは、基本あてがきの坂元さんが素の彼らを知ってるからこそ抽出できたもののような気がして。
そこに松たか子、松村北斗という最高の役者ふたりが与えられた役を演じるのではなく、「生きた」ことで硯カンナと硯駈という、抱きしめたくなるくらいチャーミングなキャラクターがこの世に生まれたのだと思う。

そして、タイムトラベルしたものがタイムトラベルされたものにバトンを渡し、タイムトラベルされたものだけが最後にはタイムトラベルの記憶を持つ、というこのバトンタッチ方式はもはや発明ではなかろうか。私もタイムトラベルものは飽きが来るほど見てきたし、実際飽きてたけど、こんな登場人物と観客の救い方は今まで見たことがない。そして、映画史に残るあんな美しいキスシーンも。

ひとつの恋の死を描いた「花束みたいな恋をした」、そしてひとつの愛の再生を描いた「1ST KISS ファーストキス」。坂元裕二による恋と愛の考察はこれからも止まることなく広がり続けるのだろう。

最後に。
時間がミルフィーユなら、カンナの中にも駈への愛はいつの時代もあって、その愛が、45歳のカンナにわずかに残った愛が彼女をタイムトラベルへと走らせ、駈との愛に満ちた15年間をつかみ取らせたのだろう。
ラストシーンのカンナにその記憶はなくとも、これはカンナの駈への「愛」が作り出した物語なのだ。

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