友だち
ちいさな頃から友だちを作るのが苦手だった。
不登校が決定的になったのは中2の修学旅行からだった。
今は学校に行かなくてもたくさん選択肢はあるけれど、あの頃はまだ学校に行かない=人生終わり=落伍者みたいなイメージがまかり通っていて、母と学校側は私を登校させるのに必死だった。
朝、担任とクラスメイトが迎えに来て家の中までずかずか入ってくる。私が所属するグループの女子たちだ。彼女らは私以外はみな吹奏楽部で、吹奏楽学部員はクラス関係なく仲が良かった。
彼女たちに説得され、修学旅行だけは行くことにした。私にとっても東京への修学旅行は憧れの行事だった。
呼びに来てくれたんだもの、大丈夫だよね、一緒にいてくれるよね。
けれど、彼女たちはやはり吹奏楽部同士で徒党を組んだ。自由時間は部活の仲間で行動し、必死でついていく私の存在を徹底的に無視した。仲間に入ろうにも、共通の話題で盛り上がる輪の中に部外者の私が入っていけるわけもなく。頼れる家族もいない東京の街で、わたしはひとりだった。
それから、学校には行かなくなった。
学校を卒業したあとも、私は徹底的に友だちを作るのがヘタだった。私の言葉には自分でも気付けない刃があるらしく、友だちができた、そう思うたびしばらくして彼女たちはわたしの前から去っていった。
そして私は、いつしか友だちに気を使い、ご機嫌をうかがい、媚びへつらうようになった。こんなわたしと仲良くしてくれてるのだから。それでも、彼女たちはわたしの前から去っていった。変なひとにひっかかって、お金を貸して、そのまま持ち逃げされたこともあった。どうしたら長く付き合える友だちができるのか、まったくわからなかった。
43歳でアイドルの推しができた。そして、会ったことはないけれど彼らの良さを語り合う仲間がSNSを介してできた。彼らの歌う人生の応援ソングに背中を押され、生まれて初めて夢もできた。介護福祉士になりたい、という夢だ。
私はとにかく初めてできた夢を早く叶えたかった。何も知らないままあるデイケア施設に入り、働きながら勉強をする道を選んだ。しっかり吟味して選ばなかったのがいけなかった、そこはミスをすれば利用者さんの前で叱責され、24時間グループLINEが鳴りまくり、昼夜関係なく呼び出され、休みの日もクレーム処理で潰される、いわゆるブラックな施設だった。
ついてゆけなくなったわたしは結局1ヶ月でそこを辞め、うつ病発症というオマケまでついてきた。
心身ともにボロボロになったわたしの唯一のひかりは推しだった。年に一度、彼らに会いに行けるライブに申し込んでいた。なんとしてでも行きたかったライブだ。
けれどやはり神様はいなかった。ライブは落選。わたしのこころからは一切のひかりが消えた。
そんな時、SNSの通知音がピコン♪と鳴った。画面に目を通すと
「大阪のライブ、行こう!」
交流のあったフォロワーさんからだった。すぐに返信をすると、彼女は大阪のライブが当たったらあなたを誘おうと思っていた、と言ってくれ、わたしは念願のライブへ行けることになった。
ライブ当日にはじめて会った彼女は明るく理知的で、はじめて会ったような気が全くしない、不思議なひとだった。わたしは彼女の前ではなんでも話せる気がした。
会場に入り、席が印字されたチケットを受け取り、そこへ向かうと彼女はいきなり「よっしゃ~!」と叫んだ。そこは推しを間近で観られるアリーナ、と呼ばれる席だった。
「きゅうちゃん頑張ってたから。絶対にアリーナでライブを観せてあげたかったの!」
神様かと思った。私たちはライブをたのしみ、駅まで送ってくれた彼女とその夜別れた。わたしは余韻に浸りながら、ひとりになった電車の車窓を見ながら少し泣いた。見てくれているひとは、いたのだ。たった1ヶ月だったけど、SNSに書き殴ったわたしの七転八倒の日々を。あれは決して無駄な日々なんかではなかった。神様は、いたのだ。
遠くの県に住むわたしたちはその後もLINEでやり取りを続けていた。しかし、事件は起きた。SNSで仲良くなったもうひとりの友人を含めたグループLINEを作ったときのこと。たのしそうに会話をするふたりの会話にわたしは全く入っていけなくなった。
思い浮かんだのはあの、修学旅行。あれ以来、わたしには無視される前に逃げるクセが付き、わたしはその日も「退出するね」とLINEに残し逃げた。去られる前にするほうがラクだった。傷がまだ浅くて済む。
すると、ライブに誘ってくれた友人からLINEがきた。
「気付けなくてごめんね。でも、わたしがきゅうちゃんを嫌いになることはないから。そんな甘い気持ちで誘ってないから。」
このひとなら、ありのままのわたしを受け止めてくれるかもしれない、そう思ったわたしはちいさな頃から抱えていた鉛のような思いを吐き出した。わたしはこのひとと一緒にいたい。友だちが、できた。そう感じていた。
彼女がわたしのことを心友、と呼んでくれるのがうれしい。身体は離れているけれどこころは近くにいる、そんな気がする。
自分が好きなひとといられる(身体は離れているけれど)日々はこんなに楽しいのか。そう感じたわたしはSNSにぽつりとつぶやいた。
「友だちって、自分で選んでいいんだ。大好きなひととだけ、一緒にいてもいいんだ。」
またピコン♪と通知が鳴る。
「知らなかったの?」
彼女だ。わたしは答える
「うん。学生時代とか、こんな私と仲良くしてくれるんだからって相手に無理して合わせたりしてた。で、当然壊れる。でも大人になってからできた友だちはそれをしなくていいからストレスフリー。好きなひととだけ一緒にいていいんだって。最近知った。」
またまたピコン♪
「好きな人だけで良いんだよー。楽しく楽に人生過ごせば良いのー。だからまた遊ぼうね。」
友だちは、自分で選んでいい。好きなひととだけ、一緒にいていい。45歳のわたしがはじめて、知ったこと。