黄金のレガシーではじめてムービースキップに手をかけた話


黄金のレガシーをクリアしました。
10年ぐらいこのゲームをしており生活の一部となっていたのですが、今回よかったことよりそれ以上に荒やだめな部分が目につき、気持ちの整理として文字に残すことにしました。
多大なネタばれおよび、ネガティブな感想をもっておりますので、面白かった方はいますぐ閉じたほうがいいです。



まずキャラクターを描くことがうまくなく、エピソードの取捨択一もうまくなく、過不足がありすぎるのでストーリーが地続きに感じられず物語進行で必要な要素が付箋でとってつけたように加算されるため、結果的にライターが意図するここがいいシーンだよ!といいたいのであろうなというところが浅く、上滑りしてしまったように感じた。
正直完成度が低く、よくこれプレイしたうえで出したな……と思う点が多々ある。
まず、おそらく大目的はこれからにむけて他の鏡像世界の状況及び行き来を提示すること。
そのうえで今回描きたかったことは相手を知ること、家族の絆だったのだろうなと思います。そして再三吉田がいっていたヒカセンの夏休み。
では実際どうだったか。


王位継承レース

とにかくウクラマトがみんなを笑顔にしたい!といい、狂ったように周囲がすばらしい!と全肯定して物語は進んでいく。
ずっと同じ流れで正直ここからしんどかったです。
ウクラマトの能力と外部評価があまりにも見合っておらず、これはウクラマトを等身大の女の子としたうえで、父のような王の素質がありますと執拗なまでに丁寧に描写することで、賛否のあった紅蓮のリセの二の舞を避けたかったのだろうなと思います。
個人的には悪化したと感じましたが。

おつかい内容が変わってもずっと同じことを言い続けるだけなので、ここは純粋にキャラクターの魅せ方がうまくなかったことで苦手だと感じる人はより苦手になっていくだけだったかもしれないなという印象です。
また、せっかく王位継承レースで暁メンバーが分かれて一応敵対する、というのであれば、終節の合戦のようにイベントバトルでもいれてもよかったではと思いました。本当に暁はずっと添え物なので。
バグージャジャにしても、トライヨラ襲撃時に殺さないのであれば冒頭あそこまで執拗に嫌なキャラとして描く意味もちょっとよくわからなかったですし、であればここにも暁メンバーも配置できたのに。


ゾラージャと父の掘り下げの甘さ

最後まで見て前半一番解せぬと思ったのはゾラージャの見せかたです。
唯一実子であるゾラージャは性格が父に似ているウクラマトに憎悪を抱いていると唯一明確に描写されるのはクルルのセリフだけです。
物語通してみれば終盤のボスを担っており、主人公に配置されているウクラマトの家族かつ、王の候補であったこともあり掲げられている主題要素を抱えている人物にも関わらず、クルルのセリフただそれだけの関係性の掘り下げだけ。
後半に入ってすぐの、通してみると必要性が全く感じられない荒野のガンマンのあたりをやるくらいなら、ゾラージャと父のシーンなり、確執なりいれたほうがよかったのではないでしょうか。
結果ゾラージャの子供もあまりにもとってつけたような登場でただ扉の鍵及び物語進行に必要な装置にしか見えませんでした。


橋を渡ってから

ウクラマトと離れられて正直ハッピーと思ってしまったことになんでこんな思いしながら冒険しなきゃいけないんだと思いつつ、上でも書きましたが本当にもっと違うことに尺使ってくれというガンマンのくだりでうんざりしてしまった。
このあとにもかかわってくるのですが、後半の旅、ウクラマトではなくエレンヴィルとクルルを主体に置いた形にしていったらもう少し最終マップでやりたいこともまとまっていったのかなと感じた。


「知る」の浅さと永久人

スフェーン自体の描き方も尺の関係で情緒不安定な子になってしまっていたのもうーんという感じではあるが、それ以上に最終マップでの醜悪さがひどかったと思う。
ここまで相手を知る、ことにウクラマトは重きを置いていた。
前半はそれでよかったと思う。自国のことを知るということは王として先につながることだったので。
ただ最終マップ、スフェーンの国の住民たちを知る、は傲慢さを感じた。
知ったから消していい、とまでは言わないが消すところは葛藤するシーンくらい入れてもよかったし、次のマップにいくときテンション高いのも違うだろと思ってしまった。

価値観が違う相手に直面し、どちらも道を譲るわけにはいかない漆黒のような対立関係。
スフェーンの価値観や思いにエメトセルクのときほど大儀や重さを感じられないのは結局ここまでの積み重ねの甘さであり、スフェーンとの対比であり主人公であるウクラマトという受け手の描き方の問題なのかなと思った。

永久人のシステムはおかしい、彼らは死んでいる、というのは原初世界の価値観であり、スフェーンたちには生きていることと変わりない。
では餌になれという話ではなく、掲げている主題に沿って相手を知る、ということをずっとやってきておいて知ったから終わりねさよなら、は本当の意味で知ることだったのか。
描き方としては、価値観がどうしてもすり合わせられない相手に出会うこともある。その時、知る、だけではなく知ることの難しさにスライドしていけたらよかったのになぁと思った。
結局漆黒と被ってしまうが、エレンヴィルは設定や立ち位置的にも漆黒とは異なるものを持っていたのでもっとそういう観点から攻めていけば、違いも描けたのかなと感じた。
現状のように、はい次のマップ!話して関係者消しますみたいな流れ作業になってしまうよりは……。
そういう点でも、後半はウクラマトではなくエレンヴィルとクルルにもっと焦点をあてて進んでほしかったと思う。


FF14の主人公は

主人公が誰であれ、全体としてみたとき必要ない部分は多々あり、語るべきところも足りてない過不足のあるお話だった。
そして、ほぼずっと想定の範囲内で進んでいったと思う。
王道と言ってしまえばそうだけど、こうなるか!みたいなそんな展開は一切なかった。なんやかんや詰め込んだ割に。
もしかしたらうまく物語を描いてくれていたらそれなりに楽しめたのかもしれない。
ただ、やはりそもそも主人公が変わってしまったことも問題点だったと思う。

吉田はまず、ヒカセンの夏休みだといった。事前にみたトレーラーはトライヨラで暁メンバーたちが露店でごはんを買ったりしていたと思う。
実際それはラストにちょろっと流れるムービーで、本編でそんなことはなく、思い描いていた新しい大陸での新しい冒険の始まりではなかった。
暁メンバーとはほとんど旅できることはないどころか雑な扱いをうけ、冒険者は始終ウクラマトの後方見守り係であり、ラスボスの思いを受け止めることすらさせてもらえず、申し訳程度に最後の最後にいつものアゼムの召喚術使うだけなので。

夏休みのバカンスは過大広告だった。
そもそもこの物語にヒカセンは必要だったか。
私は必要なかったと思う。
これはなろう系主人公ウクラマトの物語だった。

オンラインゲームの主人公をどうとらえるかという問題でもあると思うが、物語の主人公を見守るこのゲームは私にとってはこれまでのような楽しい旅だったとは言えなかった。
本当に残念でしかない。

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