マインドセットでなくてレディネス。内発的な力。時代が変わっても、学びの出発点は学習者自身の心であり、意欲である。

こどもの心の中に「自ら学ぼうとする」イグニッションを子供自らが点火する。
かつての時代の教師、ことに担任は、それができていた。
それができてない担任が、今、なんと多いことか。
授業開始の時刻になっても、教師の「座れ」「はじめろ」という指示命令を待っている。
それはこれまで文科省きって取り組んできた「自ら学ぶ」ことへの逆行ではなかろうか。

こどもに限らず、おとなも含め、学ぶということは、内発的な意欲から始まるものだ。
昭和時代の某熱血野球漫画の如く、親の強制でこどもの能力を伸ばそうなどと、漫画の世界ならいざ知らず、現実には到底できるものではない。

学ぼうという気持ちを持つ人間が、自ら自発的にその意欲を持つことは、当たり前のことだ。
時代がどう変わろうと、変わらないことだ。

昔の時代は、それでもその「当たり前」を「当たり前」にできている優秀な先生がいた。
それは時代以前に、教師として、当然の行為だからだ。
それを指して「昔のことだ」と分別なく懐古主義だなんていう人間が、果たしているのだろうか。
もしいるとしたら。
それは、こどもという学びの主体者たちに対する、冒涜であり、侮辱であるとしか私には思えない。

個人の所感であるが。

241022

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